民主的な伝統の始まり
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「ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ大学フランクフルト・アム・マイン」の記事における「民主的な伝統の始まり」の解説
戦後、アメリカ軍政部は当初大学の閉校を予定していた。しかしながら、「行動する市長」ことヴィルヘルム・ホルバッハと新たに学長に就任したゲオルク・ホーマン (Georg Hohmann) は、フランクフルト大学を総合大学として認可する提案を1945年秋に出した。アメリカ軍のトップの支援や政治と関わりのない学者たち、市の上層部の尽力も手伝って、大学はついに1946年2月1日に再開した。ホーマンの後任で、アメリカの捕虜収容所より帰還した法学者ヴァルター・ハルシュタイン、当時の文化大臣で後に学長となるフランツ・ベーム、またアメリカからフランクフルトに戻ったマックス・ホルクハイマー(1951年から1953年まで学長、その後社会研究所所長を歴任)らは、新たに勝ち取った学問の自由や大学の自治を発展させることに尽力した。アメリカ軍占領地域内の他の大学とともに、フランクフルト大学にもそれまでなかった神学部が設置され、倫理的な問題、必要とあれば政治的な問題にも対して総合的に関わる講義がなされるようになった。同時に大学を世界に向けて開くことも図られ、1949年にはシカゴの数大学から教授陣・学生たちの代表団がフランクフルトを訪問した。
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