民主的傾向の復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:21 UTC 版)
「連合国軍占領下の日本」の記事における「民主的傾向の復活」の解説
占領を早く終わらせるために、満州事変以降政界から引退していた幣原喜重郎を総理大臣に擁立し、幣原内閣(1945年〈昭和20年〉10月9日 - 1946年〈昭和21年〉5月22日)を発足させる。ポツダム宣言の「民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除されるべきこと。言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されること」の条項に従い、占領軍の指示を待たずに大正デモクラシー時代の幣原の盟友達を集めた。新任挨拶のために総司令部を訪れた幣原首相に、マッカーサーの会談記録および会談の中でマッカーサーが口頭で五大改革指令を伝えた。(1) 女性の解放 (2) 労働者の団結権の保障 (3) 教育の民主化 (4) 秘密警察の廃止 (5) 経済の民主化である。婦人参政権、労働組合法、農地改革などの改革は大正デモクラシー時代の政界の懸案でもあり、いくつかは法案化が済み、またすでに閣議決定していた事柄でもあったため、憲法改正案が成立するより早い時期に明治憲法下で法制化され、実行に移された。
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