モダニズムの時代
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「新青年 (日本)」の記事における「モダニズムの時代」の解説
探偵小説愛好家であった江戸川乱歩は馬場孤蝶に創作作品「二銭銅貨」を送ったが読んでもらえなかったため、雨村に送り直して1923年4月号に掲載され、怪奇幻想色の濃い後年の作風とは異なる論理性の高い探偵小説を続けて発表する。これに刺激を受けて、横溝、水谷の他に、角田喜久雄、山下利三郎らが執筆、さらに新人として甲賀三郎、大下宇陀児、城昌幸、渡辺温、牧逸馬、国枝史郎、夢野久作などがデビューした。文壇作家では片岡鉄兵、佐々木味津三、平林たい子、戸川貞雄、林房雄、佐藤春夫なども探偵小説を寄稿した。 翻訳では、ビーストン、コナン・ドイル、バロネス・オルツィ、アガサ・クリスティ、メルヴィル・デイヴィスン・ポーストらの探偵小説、その他にジョンストン・マッカレー、P・G・ウッドハウス、オー・ヘンリーらのコントが人気を博した。 1925年から横溝が編集に加わり、当時のモダニズムを取り入れてユーモア小説を掲載するようになり、1927年3月号から2代目編集長となる。この誌面を乱歩は「日本娯楽雑誌中の最も上級な新味のあるものになりきった」と評した。乱歩が1928年8月増刊号から10月号にかけて連載した『陰獣』は、最終回の掲載された10月号が売り切れて3刷まで増刷する ほどの人気となったが、乱歩は、探偵小説以外に重点を置く本誌からはその後遠ざかった。また、『陰獣』の挿絵を担当したのは竹中英太郎であり、これが『新青年』への初登場となった。 1928年10月号からは延原謙が3代目編集長となり、巻頭漫画がカラーとなり、またヴァン・ダインの紹介が始まって人気となった。この時期には、稲垣足穂、海野十三、浜尾四郎、渡辺啓助なども掲載。葉山嘉樹、村山知義らの左翼作家作品もあった。 1929年8月号から水谷準が4代目編集長となる。野球好きだった水谷は学生野球の記事の掲載を始め、1930年には野球増刊を2回発行する。若者向けに、ファッション、新刊紹介、音楽時評、映画界噂話などのページも充実し、1931年には谷崎潤一郎『武州公秘話』の連載が話題となった。1932年には飛田穂洲「熱球三十年」、33年は徳川夢声「くらがり三十年」、獅子文六「西洋色豪伝」、井上吉次郎「スポーツ社会学」、矢部謙次郎「マイクロ十年」などを連載、創作読み切りとして小栗虫太郎「完全犯罪」掲載、34年は柳家金語楼「金語楼半代記」などを連載、創作で木々高太郎がデビューした。木々は1936年連載の『人生の阿呆』で第4回直木賞を受賞する。また1930年以降では、井伏鱒二、深尾須磨子、宇野千代、吉屋信子、堀辰雄、川端康成、阿部知二、岸田國士、室生犀星などを掲載。清沢洌の創作「精神分析をされた女」は1929年掲載。新漫画派集団として、吉田貫三郎、横山隆一、樺島勝一らが1932年頃から活躍する。
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