モダニズム建築の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 05:25 UTC 版)
「モダニズム建築」の記事における「モダニズム建築の評価」の解説
かつての「モダニズム建築の旗手」たちが設計した建築は既に築後数十年が経過して老朽化が進み、今日の目から見ればさすがに時代性を感じさせており、機能的にも不十分な点が見られるほか、一般への理解のされにくさからデベロッパーや自治体にとってもさほど「売り」にならず、解体される事が多い。21世紀に入り丸の内周辺の初期モダニズム建築が次々解体されるも大衆的関心を集めない一方で、非モダニズムの東京駅駅舎が復元され大衆的な支持も受けたことはモダニズムの敗北と受け止められた。 保存を望む声もある一方、更新を続ける社会の耐久消費財として作られたのだから安易な保存は不要とする馬場璋造のような意見もある。また、都城市民会館解体問題の際にその設計者の菊竹清訓は、単純な保存ではなく大屋根をガラスに置き換えることを提案した。1990年代までは文化財保存の動きもあったものの、その後のバブル崩壊で成熟した社会への移行に失敗したことから、再びスクラップアンドビルドによって稼ぐほかなくなったという事情もある。 モダニズム建築の良さは一般に理解されにくい。例えば、「ミースのシーグラム・ビルディングやSOMのリーバ・ハウスは、デザイン的にも機能的にもきわめて優れたモダニズムの超高層建築であるが、その優れた点をきちんと理解していないその後の建築家らが、表面的な物真似をして、平凡で粗悪な、四角い箱というだけの無味乾燥な建築を作り続けたために、モダニズム建築は誤解され、批判ばかりを助長する結果となった」というような言い方をされることがある。これは、おそらく正しいことを書き記しているのであろうが、素人には、十分に理解できないところがある。その理由として、モダニズム建築のよさ、または、よいモダニズム建築とそうでないものとの違いを、単なる表層に限ることなく、機能や思想まで含めて、具体的に、具体例をもって、示さないからである。したがって、感覚的にしかモダニズム建築の良さが理解できない面があり、「この作品は、とても端整である」といったイメージの評価や抽象的な評価に留まることがある。この点については、建築家でさえ全ての点を理解できないことがあるのだから無理もないとする意見がある一方で、モダニズム建築の優れた点を素人にも判るレベルで具体的に示す努力を怠ってきた建築家や建築評論家への批判もある[要出典]。
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