モダニズム文学との比較
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 02:46 UTC 版)
「ポストモダン文学」の記事における「モダニズム文学との比較」の解説
モダニズム文学もポストモダン文学も19世紀リアリズムからの決別を意味している。特質をいうなら、モダニズム文学もポストモダン文学も主観主義を追い求めることである。ヴァージニア・ウルフやジェイムズ・ジョイスの文体、T・S・エリオットの詩『荒地』などに見られるように、多くのモダニストによって描かれた「意識の流れ」は、外部のリアリズムから内部の意識の状態への転換を意図している。さらに、モダニズム文学もポストモダン文学も同様に物語、性質、構造の断片によって追求している。『荒地』は度々モダニズム文学とポストモダン文学の際立った特徴をもっていると位置付けられる。詩はポストモダン文学の中でも特に文体模倣や断片が多くみられ、『荒地』の語り手は「私を支える断片は、私の滅亡に対抗する」と言っている。モダニストの文学は断片を用いて、実存主義の危機やフロイト派の内的矛盾を主観的に探求し、問題を解決すべく、その問題に取り組んでいたといわれている。一方ポストモダニストは、この混沌は乗り越えられないことを証明している。彼らの主張は、「破滅」に対抗する訴えだけが混沌から免れるのだということである。遊び心は多くのモダニストの作品にみられ(例えばジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』やヴァージニア・ウルフの『オーランドー』)、ポストモダニズムと非常に類似しているが、ポストモダニズムはより遊び心が中心的になり、物語の状況や意味性を明確にしない。
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