モダニズムとその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/14 19:13 UTC 版)
「アメリカ合衆国の詩」の記事における「モダニズムとその後」の解説
この新しい作風は19世紀のフランス詩の研究と組み合わされ、アメリカが20世紀の英語近代詩へ参画してゆく基盤を形成した。エズラ・パウンド(1885年 - 1972年)とT・S・エリオット(1888年 - 1965年)が当時の指導的詩人だったが、他にも多くの詩人が重要な貢献を果たした。その中には、ガートルード・スタイン(1874年 - 1946年)、ウォレス・スティーブンス(1879年 - 1955年)、ウィリアム・カルロス・ウィリアムズ(1883年 - 1963年)、ヒルダ・ドゥーリットル(通称H.D.、1886年 - 1961年)、アデレイド・クラプシー(1878年 - 1914年)、マリアン・ムーア(1887年 - 1972年)、E・E・カミングス(1894年 - 1962年)およびハート・クレイン(1899年 - 1932年)がいた。ウィリアムズは同時代の誰よりもアメリカで話されている英語を自由詩自由律のリズムと融合させるように工夫したことで、後の多くの詩人達に規範となった。 これらの詩人達が疑い無くハイ・モダニズムを代表する存在であった一方、20世紀初めの3分の1におけるアメリカの他の詩人の動きはそうではなかった。この中で最も重要な者達は新批判主義と呼ばれるようになるものと関連があった。これにはジョン・クロウ・ランサム(1888年 - 1974年)、アレン・テイト(1889年 - 1979年)およびロバート・ペン・ウォーレン(1905年 - 1989年)がいた。その他当時のアーチボルド・マクリーシュ(1892年 - 1982年)のような詩人はモダニズムの技術を実験したが、より伝統的な書法の方に惹かれてもいた。モダニズムの灯は客観主義者として知られる詩人集団によって1930年代に引き継がれた。これには、ルイス・ズコフスキー(1904年 - 1978年)、チャールズ・レズニコフ(1894年 - 1976年)、ジョージ・オッペン(1908年 - 1984年)、カール・ラコシ(1903年 - 2004年)、そして後にはロリーン・ニーデッカー(1903年 - 1970年)がいた。『客観主義者の選集』に掲載されたケネス・レクスロス(1905年 - 1982年)はマドリン・グリーソン(1909年 - 1973年)と共にサンフランシスコ・ルネッサンスの先駆者だった。 客観主義者の多くは新しい移民の都市社会の出身であり、この新しい経験と言語の脈が成長するアメリカの文体を豊かにした。他にもアメリカの文体を豊かにしたものは、ラングストン・ヒューズ(1902年 - 1967年)やカウンティ・カレン(1903年 - 1946年)のようなアフリカ系アメリカ詩人がアメリカ詩の主流の中に現れたことだった。
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