樺島勝一とは? わかりやすく解説

樺島勝一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/16 01:45 UTC 版)

樺島 勝一(かばしま かついち[1]、本名:椛島 勝一、1888年7月21日 - 1965年5月31日)は、日本挿絵画家、漫画家

長崎県諫早市出身。代表作に『正チャンの冒険』『敵中横断三百里』『亜細亜の曙』『吼える密林』など。精緻な画風から「ペン画の神様」と呼ばれた[1][2]

略歴

長崎県北高来郡諫早村(現:諫早市)に生まれる[1]。4歳で鹿児島市へ転居し、鹿児島商業学校へ進学するも、生来の吃音のため商人には向かないと考え中退。上京して画業に入るが、貧しいため美術学校に通う事はかなわなかった。しかし、洋書の『ジオグラフィック・マガジン』のペン画を見て、独学[1]細密描写の技法を確立し、博文館の雑誌などで挿絵を描くようになる。

1922年に朝日新聞東京本社へ入社[1]して専属画工となり、1923年11月から「東風人」の筆名で織田小星と『正チャンの冒険』を『朝日新聞』に連載。主人公「正チャン」のかぶっている後ろ頭に玉のついた手製の帽子が「正チャン帽」と呼ばれて大流行した。

『正チャンの冒険』(1923年)

大正末期から昭和前期にかけて次々と『少年倶楽部』(大日本雄弁会講談社)などの少年雑誌が創刊され、なかでも人気を博していた山中峯太郎南洋一郎海野十三等の軍事・冒険小説軍艦戦車飛行機動物などの重厚で細密なペン画を提供し、「船のカバシマ」などの異名を得た。

第二次世界大戦後、メカニックなイラストの世界は帆船や軍艦、プロペラ機がリアリティーを持つ時代からロケット人工衛星ジェット機、未来都市(「レトロフューチャー」参照)の時代に移り変わり、小松崎茂など新世代の挿絵画家に次第に席を譲っていくが晩年まで絵筆を握り続けた。

2022年には椛島と小松崎の作品を紹介する企画展が昭和館(東京)で開かれた[1]

親族

参考文献

脚注

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「樺島勝一」の関連用語

樺島勝一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



樺島勝一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの樺島勝一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS