昭和館
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昭和館(しょうわかん)は、東京都千代田区九段南にある日本の国立博物館(厚生労働省社会・援護局所管)である。日本遺族会が運営を受託している。国民が経験した戦中、戦後の国民生活上の労苦を後世代の人々に伝えていくことを目的として[1]、1999年(平成11年)3月27日に設立された。実物資料の常設展示のほか、特別企画展や図書・映像・音響資料の閲覧事業を実施している。2017年6月、常設展示室のリニューアルを行った。 特徴的な外周の壁面にはチタン製のパネルが採用[2]されており、建設から20年以上を経た現在でも美観を保っている。
- ^ a b 外池智「地域における継承的アーカイブと学習材としての活用(4) -昭和館を事例として-」『秋田大学教育文化学部教育実践研究紀要』第44巻、秋田大学教育文化学部附属教職高度化センター、2022年3月、1-13頁、CRID 1390573407666362880、doi:10.20569/00005938、hdl:10295/00005938、ISSN 2432-8871。
- ^ “昭和館 | オーダー金属建材の菊川工業”. オーダー金属建材の菊川工業 | 菊川工業は国内外の著名建築家・インテリアデザイナーとともに建築物の金属内・外装工事を手掛ける金属建築の専門企業。オーダーメイドでお客様のご要望にお応えします。 (1998年12月20日). 2023年5月1日閲覧。
- ^ “戦後日本を支えた建築家・菊竹清訓。一度は生で目にしたい名建築7選 | どこいく?×トリップアドバイザー”. www.tripadvisor.jp (2020年3月2日). 2023年5月26日閲覧。
- ^ “昭和館”. www.10plus1.jp. 2023年5月26日閲覧。
昭和館
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戦中・戦後の国民生活に関する資料を所蔵。SPレコードや記録映像は館内で視聴可。
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昭和館
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設計はアメリカ人建築家J.V.W.バーガミニー、構造設計は内藤多仲が担い1929年に竣工したSRC造の校舎建築である。間口18m、奥行55mの規模をもつ。国登録有形文化財。
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昭和館
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「昭和館 (栃木県庁舎)」の記事における「昭和館」の解説
昭和館は、4代目の栃木県庁舎として65年間利用された建物のうち、貴賓室や金庫室などを含む部分を曳家によって移動し、内部を復元・保存したものである。既に行政実務は行われていないが、栃木県庁舎の1棟と見なされている。 館内 階 室 4階 正庁、多目的室4 3階 貴賓室、展示室(近代栃木のすがた、市町村情報室)、多目的室3 2階 ふくしレストラン、多目的室2 1階 展示室(4代目県庁舎と佐藤功一)、多目的室1 地下1階 免震装置見学室 館内のレストラン「ふくしレストラン」では障碍者スタッフが働いている。開店当初は宇都宮市の知的障害者授産施設「富屋作業所」の利用者が店員を務めていた。メニューの中心はビーフカレーと日替わりランチで、地産地消と手作りにこだわっている。なお、ふくしレストランは休憩室を兼ねているため、飲食利用をしない人も入店できる。 昭和館の前には、2020年(令和2年)8月21日にJA全農とちぎとイチゴ生産者らが寄贈した「いちご記念碑」が建立されている。
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