ボールズブラフとは? わかりやすく解説

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ボールズブラフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 08:19 UTC 版)

チャールズ・ストーン」の記事における「ボールズブラフ」の解説

詳細は「ボールズブラフの戦い」を参照 1861年10月20日ストーンジョージ・マクレラン少将からポトマック川渡って偵察行いバージニア州リーズバーグにおける南軍動向報告するよう命じられた。マクレランはまたこの行動が、前日にドレインズビルに向けて動いたジョージ・A・マッコール准将師団総勢13,000名)の動き組み合わされて、戦闘が起こること無しにその地域から南軍撤退促すことを期待した。この状況に関してマクレラン参謀からストーン与えられ命令概要次の通りだった。 マッコール将軍昨日ドレインズビルを占領し、現在そこにいる。そちらから今日あらゆる方向威力偵察行われたし将軍は、貴方がリーズバーグ十分に見張り続ければその動きで敵を追い出す効果があることを期待している。恐らくは貴方の部隊簡単な示威行動を行うことで敵を動かすことになるだろう。 この命令受けたストーンは、必要な時には近くマッコール軍から支援得られる考えたストーン知らなかったことは、マクレラン10月21日にはマッコール軍がラングレー以前陣地に戻るように命じていたことであり、ストーン部隊支援難しくしていたことだった。ストーン師団は約10,000名の勢力であり、リーズバーグからは約8マイル (13 km) のメリーランド州プールズビル周辺駐屯しており、部隊一部ポトマック川岸に点在させていた。ストーン砲兵隊ポトマック川沿いのエドワード渡し場移動させ、南軍が守る対岸砲撃できるようにした。ストーン次に3隻の小さな船で第1ミネソタ歩兵連隊の約100名を対岸送り彼等何事もなく直ぐに戻ってきた。日没近くなって、ストーンは第15マサチューセッツ歩兵連隊から20名の小偵察隊派遣しリーズバーグ方面を探らせ、北軍の動き期待する効果有ったかを見極めようとした。川中にあるハリソン島から渡河したこの部隊はボールズブラフ(崖)をよじ登り内陸1マイル (1.6 km) 足らず少なくとも30名の南軍兵が宿営していると信じたものに遭遇した偵察隊ハリソン島に午後10時頃に戻りエドワード渡し場にいるストーン伝令送って報告したストーンはこの報告反応して南軍実際にリーズバーグから去っていると考え、さらに調べて見ることにした。午後5時にエドワード渡し場から直接川を渡る部隊を自ら指揮する一方で、チャールズ・ディブンス大佐とその第15マサチューセッツ歩兵連隊半分(約300名)にはその夜直接ボールズブラフに渡るよう命令したストーン指示内容は「夜の闇に紛れて敵の宿営地まで密かに行軍し夜明けとともに攻撃して破壊し...島まで速やかに戻ること」とされていた。ディブンスはストーン命令実行し3隻の10乗りという小さな船で困難な渡河行い、これには4時間を要したストーンまた、ディブンスに攻撃後の処置について、すなわちリーズバーグを守るか、ハリソン島に戻るかをその裁量任せてもいた。ストーンは第15マサチューセッツ歩兵連隊残りと第20マサチューセッツ歩兵連隊ウィリアム・R・リー大佐)にもこの動きに加わるよう命じ全体指揮大佐アメリカ合衆国上院議員エドワード・D・ベイカー執るよう命じた。ディブンスは宿営地が無いことが分かり先の偵察隊夜陰の中で明らかにトウモロコシ刈り束をテント見誤っていた)、停止してストーン指示仰いだが、ストーンリーズバーグ近付け返事した。ディブンスがリーズバーグ接近する実際南軍宿営地発見した。ディブンスはそこで留まり援軍を待つことにしたが、ベイカー隊が到着する前の午前7時小競り合い始まった南軍ネイサン・G・"シャンクス"・エバンス大佐ストーン対抗することになる部隊率いており、敵が渡河したことを知ったときにその2,000名の部隊分割した所属するうちの3個連隊エドワード渡し場からリーズバーグに向かう道路遮断してストーン隊に対処するように命じ一方残り部隊はボールズブラフでベイカー隊と戦って破ったベイカー情報を送らなかったので、ストーン戦闘起こっていることを知らずに、その行く先南軍遮断されていることが分かるエドワード渡し場戻った続いてハリソン島に行ってボールズブラフでの敗戦知り直ぐにマクレラン宛ててマッコール軍からの援軍求めたが、近くにいると思っていたその部隊実際に20マイル (32 km) 以上も離れた所にいた。 ストーンはボールズブラフで約1,000名の戦死負傷捕虜および溺死者を出し一方南軍は160名足らずを失ったけだった北軍損失中には現職の上院議ベイカー含まれていた。ベイカーは「4発の銃弾受けて地に倒れ前に死ぬ」という戦死だった。ベイカー戦死とボールズブラフの戦闘ストーンその後重大な影響及ぼし、また南北戦争遂行方法にも影響与えることになったマクレラン10月24日戦闘に関する公式報告書で、「この災難直接指揮を執った者が犯した誤りによって起こされたものであり、ストーンのせいではない」と言ってストーン自身敗北責任がないものとしていた。

※この「ボールズブラフ」の解説は、「チャールズ・ストーン」の解説の一部です。
「ボールズブラフ」を含む「チャールズ・ストーン」の記事については、「チャールズ・ストーン」の概要を参照ください。

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