戦闘と軍隊のネーミング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/20 07:32 UTC 版)
「南北戦争のネーミング」の記事における「戦闘と軍隊のネーミング」の解説
南北戦争の戦闘の名前日付南部の名前北部の名前1861年7月21日 第一次マナサス 第一次ブルラン 1861年8月10日 オークヒルズ ウィルソンズ・クリーク 1861年10月21日 リーズバーグ ボールズブラフ 1862年1月19日 ミル・スプリングス ローガン交差点 1862年3月7日-8日 エルクホーン酒場 ピーリッジ 1862年4月6日-7日 シャイロー ピッツバーグランディング 1862年3月31日-6月1日 セブンパインズ フェアオークス 1862年6月27日 ゲインズミル チカホミニー川 1862年8月29日-30日 第二次マナサス 第二次ブルラン 1862年9月1日 オックスヒル シャンティリー 1862年9月14日 ブーンズバラ サウス山 1862年9月17日 シャープスバーグ アンティータム 1862年10月8日 ペリービル チャップリンヒルズ 1862年12月31日-1863年1月2日 マーフリーズバラ ストーンズリバー 1864年4月8日 マンスフィールド サビーン交差点 1864年9月19日 ウィンチェスター オペクォン 南北戦争の戦闘の幾つかで両軍の間にネーミングの違いがある。北軍はしばしば戦場やその近くにある著名な水系に因んで名前を付けた。南軍は大半が一番近い町の名前を使った。このために、多くの戦闘には広く使われる2つの名前がある。しかし、この違いの全てが土地と水系に基づくとは限らない。南北戦争の戦闘の現在資料は多くが北軍が付けた名前を使っている。しかし、幾つかの戦闘では南軍の名前が標準になっている。国立公園局は時として南部にある戦場公園に南部の名前を使っており、マナサスやシャイローがその例である。複数の名前を持つ戦闘の例を表に示す。 歴史家シェルビー・フットは、北部人の大半が都会人であり、水系を注目に値すると見なす、南部人の大半は田舎の者であり、町に注目すると説明している。 南北両軍も戦場を連想させるやり方でネーミングされていた。北軍はしばしば大河に因んで名付けられた(ポトマック(川)軍、テネシー(川)軍、ミシシッピ(川)軍、川の名前には通常定冠詞"the"が付けられる)。南軍は州や地理的地域に因んで名付けられた(北バージニア軍、テネシー軍、ミシシッピ軍、州名には定冠詞が付かない)。 軍より小さい部隊は多くの場合様々に名付けられた。軍団は通常略さないで書かれた(第1軍団、First Army Corps あるいは単純に First Corps)が、戦後の慣用的な書き方で北軍の軍団はローマ数字(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、...)で表された。特に南軍の場合、軍団は指揮官の名前で呼ばれる方が多かった(ハーディ軍団、ポーク軍団、など)。 北軍の旅団は序数を当てられた(第1、第2、...)が、南軍の旅団はしばしば指揮を執る将軍名が当てられた(フッド旅団、ゴードン旅団、...)。南軍の旅団の場合、指揮官が一時的に他の者になっても当初の指揮官名で呼ばれ続けた。例えばゲティスバーグの戦いで、ホーク旅団はアイザック・アブリーが指揮し、ニコル旅団はジェシー・ウィリアムズが指揮した。両軍とも渾名は通常にあり、鉄の旅団やストーンウォール(石壁)旅団などがあった。 北軍の砲兵大隊は通常数字で呼ばれた。南軍の大隊はそれが徴兵された町や郡の名前を付けられた(フラバナ砲兵隊)。また単純に指揮官の名前で呼ばれることもあった(ムーディ大隊、パーカー大隊、など)。
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