ブルームズベリー‐グループ【Bloomsbury Group】
ブルームズベリー・グループ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/30 14:56 UTC 版)
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ブルームズベリー・グループは、1905年から第二次世界大戦期まで存在し続けたイギリスの芸術家や学者からなる組織である。
概要
もともとは、姉妹であるヴァネッサ・ベルとヴァージニア・ウルフと、4人のケンブリッジ大学生によって結成された非公式な会合がきっかけであり、メンバーたちの卒業後もこの集いは存続した。ダンカン・グラントを除く全ての男性メンバーはケンブリッジ大学で教育を受けている。
1910年のドレッドノートを舞台とした「偽エチオピア皇帝事件」にはメンバーの多くが参加したが非国民という悪名を負う羽目となり、また彼らのストレートな平和主義・左派自由主義の信念は戦時中において非難を引き起こすことがあった。第一次世界大戦後その組織統一は弱まり、意見や信念もばらばらなものとなってしまった。
ブルームズベリー・グループの意見や信念は第二次世界大戦を通して話題を呼び、広く非難されたが、次第に主流となりそれは終戦まで続いた。ブルームズベリー・グループのメンバーであった経済学者ジョン・メイナード・ケインズの著作は経済学の主要な理論となり、作家ヴァージニア・ウルフの作品は広く読まれ、そのフェミニズムの思想は時代を超えて影響を及ぼしている。他には伝記作家リットン・ストレイチー、画家のロジャー・フライ、作家のデイヴィッド・ガーネット、E・M・フォースターがいる。また早くから同性愛に理解を示していた。イギリスの哲学者で熱心な反戦活動家であったバートランド・ラッセルも、このグループの一員と見なされることがある[1]。
ブルームズベリー・グループは組織一丸となっての活動成果よりも個々人の芸術的な活動成果が主に評価されているが、20世紀の終わりが見えた頃から、組織内での同性愛やオープンマリッジなどの複雑な人間関係が、学問的注目を集め研究対象となっている。
メンバー
ブルームズベリー・グループにはコアメンバーが10人いる[2]。
- クライヴ・ベル - 芸術批評家
- ヴァネッサ・ベル - 後期印象派の画家
- E・M・フォースター - 小説家
- ロジャー・フライ - 芸術批評家、後期印象派の画家
- ダンカン・グラント - 後期印象派の画家
- ジョン・メイナード・ケインズ - 経済学者
- デズモンド・マッカーシー - 文学批評家
- リットン・ストレイチー - 伝記作家
- レナード・ウルフ - 政治理論学者、作家
- ヴァージニア・ウルフ - 小説家
関連人物
脚注
- ^ 中村久司『観光コースでないロンドン イギリス2000年の歴史を歩く』高文研、2014年、220頁。ISBN 978-4-87498-548-9。
- ^ Avery, p. 33.
参考文献
- クウェンティン・ベル 『ブルームズベリー・グループ 二十世紀イギリス文化の知的良心』
- クウェンティン・ベル 『回想のブルームズベリー すぐれた先輩たちの肖像』
- 北條文緒訳、みすず書房、1997年。著者はヴァネッサ・ベルの次男
- 北條文緒 『ブルームズベリーふたたび』 みすず書房、1998年。文学的紀行・エッセー
- 橋口稔 『ブルームズベリー・グループ ヴァネッサ、ヴァージニア姉妹とエリートたち』中公新書、1989年
- 坂本公延 『ブルームズベリーの群像 創造と愛の日々』 研究社出版、1995年
- ヴァージニア・ウルフ『存在の瞬間 回想記』 ジェーン・シュルキンド編
- 出淵敬子ほか訳、みすず書房「著作集 別巻」、1983年
- クウェンティン・ベル 『ヴァージニア・ウルフ伝』 黒沢茂訳、みすず書房(全2巻)、1977年
- ヴァージニア・ウルフ 『ロジャー・フライ伝』 宮田恭子訳、みすず書房、1997年
- フランセス・スポールディング 『ヴァネッサ・ベル』 宮田恭子訳、みすず書房、2000年
- ナイジェル・ニコルソン 『ヴァージニア・ウルフ』 市川緑訳、岩波書店<ペンギン評伝双書>、2002年
-
- 著者の母は、ヴィタ・サックヴィル=ウェスト
- 中矢俊博 『ケインズとケンブリッジ芸術劇場 リディアとブルームズベリー・グループ』同文舘出版、2008年
- Avery, Todd. Radio Modernism: Literature, Ethics, and the BBC, 1922-1938. Ashgate Publishing, Ltd.; 1 January 2006. ISBN 978-0-7546-5517-6.
外部リンク
- 『ブルームズベリー・グループ』 - コトバンク
ブルームズベリー・グループ
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「ヴァージニア・ウルフ」の記事における「ブルームズベリー・グループ」の解説
父が亡くなり、ウルフが二度目の神経痙攣を起こしてから、ヴァネッサとエイドリアンはハイドパークゲート22番地の家を売却してブルームズベリー地区のゴードンスクエア46番地に家を買った。ここで、ウルフはリットン・ストレイチー 、クライヴ・ベル、ルパート・ブルック、サクソン・シドナー=ターナー、ダンカン・グラント、レナード・ウルフ、ロジャー・フライら、ブルームズベリー・グループとして知られる著述家や芸術家の知的サークルの中心人物たちと知り合った。このうち数人のメンバーは1910年の偽エチオピア皇帝事件に加わり、ウルフはこの時、アビシニアの王族の男性に扮装した。この件についてウルフが1940年に行った発言記録が発見され The Platform of Time (増補改訂版) (2008年)に収められている。1907年、ヴァネッサはクライヴ・ベルと結婚した。二人の前衛芸術への関心はウルフの作品に重要な影響を与えたものと思われる。 ウルフは1912年、作家のレナード・ウルフと結婚した。レナードの不自由な経済状態にもかかわらず(婚約中ウルフはレナードのことを「文無しのユダヤ人」と呼んでいた)二人は強い絆で結ばれていた。事実、ウルフは1937年の日記に「愛しあうこと。結婚後25年がたった今でも別れることは耐えがたい…求められるととても嬉しい。妻であること。私たちの結婚はこんなにも完璧なのだ」と記している。仕事の上でも二人は1917年にホガース・プレスを共同で始め、ともに働いた。ホガース・プレスはウルフの小説、T・S・エリオット、ローレンス・ヴァン・デル・ポストなどの著書を出版した。またドーラ・キャリントンやヴァネッサ・ベルなど同時代の芸術家にも仕事を発注した。 ブルームズベリー・グループは性の問題について進歩的な立場をとっていた。1922年、ウルフはハロルド・ニコルソンの妻、著述家で園芸家のヴィタ・サックヴィル=ウェストと出会う。二人はためらいがちに付き合い始め、性的な関係を持つようになったが、サックヴィル=ウエストによるとそれは2度だけだったとのことである。ウルフはサックヴィル=ウエストに『オーランドー』を捧げた。これは、3世紀の時間と男女の性を越えた主人公オーランドーの奇妙な伝記である。ヴィタ・サックヴィル=ウエストの息子のナイジェル・ニコルソンは「ヴィタのヴァージニアへの影響はすべて『オーランドー』に書かれている。文学史上最も長く、最も魅力的なラブレターである。この中でヴァージニアはヴィタを探求し、数世紀にわたる物語の中にヴィタを織りこみ、自在に操って両方の性を超えさせ、ヴィタと楽しみ、ヴィタに毛皮やレースやエメラルドを付けさせ、悩まし、翻弄し、そして、ヴィタのまわりに霧のヴェールを投げかけた」と書いている。恋愛関係が終わった後も2人の女性は1941年にウルフが亡くなるまで友人であり続けた。ヴァージニア・ウルフは弟のエイドリアン、姉のヴァネッサとも親しくつき合い続けた。兄のトビーは26歳の時病死した。 また、『源氏物語』の抄訳(1921-1933年)で知られるアーサー・ウェイリーもブルームズベリー・グループの一員で、ウルフも『ヴォーグ』の1925年7月号に『源氏物語』を評した文章を発表している。
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