ブルームズベリーとその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/03 21:23 UTC 版)
「ジュリア・ストレイチー」の記事における「ブルームズベリーとその後」の解説
1927年、ジュリアは、彫刻家スティーヴン・トムリン (Stephen Tomlin) と結婚した。しかし、ふたりは1934年に離婚した。ジュリアは短編小説を雑誌に寄稿する事で生計を立てた。それが小説を本格的に書き始めた契機であった。 1932年、エキセントリックでウィットに富んだ『Cheerful Weather for the Wedding』がホガース・プレスから出版された。ヴァージニア・ウルフは、「驚くほど良くできていると思う - 完璧で、鋭く、個性的」と記した。叔父リットンとの関係や、それまで著作家として彼女自身が築いてきた名声によって、ジュリアはやがてブルームズベリー・グループに加わるようになり、その社交行事にしばしば顔を出すようになった。そうしたユニークな経験は、彼女の創作にも強い影響を与えた。1964年まで、ジュリアはブルームズベリーの「回顧録クラブ (Bloomsbury Group#Memoir Club) に熱心に参加し、他の参加者たちとともに、彼らが共有する記憶について議論し、書き記した。 1939年、彼女は、当時まだ21歳の画家で、後に批評家となったローレンス・ゴウイング (Lawrence Gowing) と出会った。ふたりはその後30年を一緒に生活し、そのうち1945年から1960年までの15年間は結婚しており、ニューキャッスルやチェルシーで過ごしたが、ゴウイングが別の女性と恋に落ちてこの関係は終わった。 ジュリア・ストレイチーの死については、それが1979年のことであったという事実以外、ほとんど何も知られていない。 2012年には、ストレイチーの代表作『Cheerful Weather for the Wedding』を原作とするイギリス映画『Cheerful Weather for the Wedding』が公開された。
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