ブルワーズ時代 (2005年–2014年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 03:33 UTC 版)
「ナッシュビル・サウンズ」の記事における「ブルワーズ時代 (2005年–2014年)」の解説
2005年、6ヶ所目の提携先としてミルウォーキー・ブルワーズと契約した。ナッシュビルとミルウォーキーの特別な繋がりはないのだが、2005年から2014年、ミルウォーキー・ブルワーズの傘下にナッシュビル・サウンズが入っていた時期に重なり、ナショナルホッケーリーグのナッシュビル・プレデターズの傘下にミルウォーキー・アドミラルズが入っている。ブルワーズと提携した2005年、サウンズは1982年以来初めてリーグ優勝し、幸先の良いスタートとなった。フランク・クレンブラズ監督のもと、リッキー・ウィークス、プリンス・フィルダー、ネルソン・クルーズ、コーリー・ハートなど将来有望な選手が集まり、シーズン終了まで2日を残してアメリカン・ノース・ディヴィジョンで優勝した。カンファレンス戦でオクラホマ・レッドホークス相手に3試合中2勝した。タコマ・レイニアーズ相手に3連勝してリーグ優勝した。 2006年7月15日、サウンズのピッチャーであるカルロス・ビヤヌエバ、マイク・マイヤーズ、アレック・ザンウォルトはチーム史上5度目のノーヒットで2対0でメンフィス・レッドバーズに勝利した。5月5日から6日にかけて、ニューオーリンズ・ゼファーズ相手に2日がかりで8時間7分かけて24回まで戦った。この記録はパシフィックコーストリーグ史上最長となり、いくつかのチームやリーグの記録はこれにより破られた。元々の記録は1909年6月8日、サンフランシスコ・シールズ対オークランド・オークスの試合の24回、3時間半であった。それから数年後の1911年9月10日、サクラメント・ソロンズ対ポートランド・ビーバーズはこれと同じ記録となった。サウンズは76勝68敗でシーズンを終え、アメリカン・ノース・ディヴィジョンにおいてアイオワ・カブスと同じ記録で第1位であった。サウンズはディヴィジョン決勝戦でカブスと対戦して9戦中7勝して優勝し、ポスト・シーズンに入った。カンファレンス決勝戦でサウンズはラウンドロック・エクスプレスに3戦中2敗で敗れた。 2007年、ブルワーズのヨバニ・ガヤルド、ライアン・ブラウンが参加した。5月25日にメジャー・デビューしたブラウンは、サウンズ史上3人目のルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。6月25日、マニー・パーラはラウンドロック・エクスプレス戦でサウンズ史上2度目の完全試合をもたらし、パシフィックコーストリーグ史上3度目の9回完全試合となった。パシフィックコーストリーグ年間監督賞を受賞したクレンブラズ率いるサウンズはアメリカン・ノース・ディヴィジョンで3年連続優勝し、89勝55敗でチーム最高の勝率0.618でシーズン終了した。カンファレンス決勝戦でニューオーリンズ・ゼファーズに1勝3敗で負けた。 2008年6月14日、アメリカ合衆国中西部で起こった大洪水により、サウンズ対アイオワ・カブズの試合は観客なしで行われた。アイオワ州デモインのダウンタウン中が強制的に避難させられ、球団は市から許可を得て試合が行われたが、プリンシパル・パークに観客を入れることに許可は得られなかった。ファンを近寄らせないために照明もスコアボードも作動させず、球団ウエブサイトでも延期と伝えただけでローカルニュースでも試合を取り上げなかった。パシフィックコーストリーグの理事ブランチ・バレット・リッキーはこれまでなかったことだと語った。8月、ニューオーリンズ・ゼファーズ戦とのシーズン残り3試合がハリケーン・グスタフにより中止になった。この年の59勝81敗、勝率0.421はサウンズ史上2番目に低いものとなった。 2008年10月30日、親会社のアメリスポーツはチームを本澤正裕、スティーブ・ポズナー、フランク・ウォードらによるニューヨークの投資ファンドMFPベースボールに売却した。パシフィックコーストリーグ経営副部長のジョージ・キングは売却において球団をナッシュビルに留めておくことがリークにとっての最大条件であったと語った。2009年2月26日、メジャーリーグ、パシフィックコーストリーグ双方からこの取引の最終合意を得た。MFPは新球場の場所をダウンタウンで探しつつ、グリア・スタジアムの大幅な改装のため約250万ドルを投資した。のちにキングはサウンズの新たな総支配人となった。 2009年、日本でもプレー経験がある元メジャー選手ドン・マネーが監督に就任し、75勝69敗となった。前年より勝率も高く、シーズンのほとんどで第1位だったにも関わらず、2試合差で州内のライバルであるメンフィス・レッドバーズに敗し優勝を逃した。2010年度は77勝67敗であったがディヴィジョン最下位の第4位であった。 2011年、当時ブルワーズの選手であった斎藤隆が左太もも裏を痛め、調整のためサウンズで登板した。4月28日に調整登板した際左脇腹を痛めて降板した。6月23日、再度登板し、7月2日、メジャーに復帰した。2011年7月10日、サウンズの右翼手のケイレブ・ギンドルはサウンズ史上3人目のサイクルヒットを達成した。8月20日、オマハ・ストームチェイサーズ戦でサウンズの中堅手のローガン・シェーファーはトリプル・プレイを達成し、全米のメディアの注目を集めた。最初シェーファーのグローヴから跳ね返ったがなんとか最初のアウトを取った。その後二塁手のエリック・ファリス、一塁手マット・ギャメルに次々とボールが渡りトリプル・プレイとなった。71勝73敗でディビジョン3位となった。 2012年、新監督マイク・ゲレーロのもと、67勝77敗でディビジョン2位となった。2013年、57勝87敗で2008年の59勝81敗のさらに下をいき、サウンズ史上最低の勝率となった。しかしピッチャーのジョニー・ヘルウェグはパシフィックコーストリーグの年間投手賞を受賞し、ポスト・シーズンでパシフィックコーストリーグのオールスター・チームに参加した。 2014年、パシフィックコーストリーグの再編計画により、サウンズはアメリカン・カンファレンスの北ディヴィジョンから南ディヴィジョンに移籍した。このディビジョンには他にメンフィス・レッドバーズ、ニューオーリンズ・ゼファーズ、ラウンドロック・エクスプレスがいる。2014年、マイナー・リーグのベテラン監督リック・スウィートが新監督となった。オフシーズン中、サウンズ、ナッシュビル市、テネシー州はグリア・スタジアムに代わり、2015年完成の新球場設立に合意した。 2014年8月27日、グリア・スタジアムでの最終試合を行ない、サクラメント・リバーキャッツに8対5で負けた。捕手のルーカス・メイは彼にとってこの試合唯一の登板で、フルカウントで空振り三振で試合終了した。観客数は11,067名で2010年以来の完売、2007年以来最大の観客数であった。76勝67敗でディヴィジョン第2位で優勝チームのメンフィス・レッドバーズとは2.5試合差であった。当時ブルワーズの有望選手であったジミー・ネルソンはサウンズで開幕を迎え、満場一致まであと1票でパシフィックコーストリーグの投手賞を受賞した。
※この「ブルワーズ時代 (2005年–2014年)」の解説は、「ナッシュビル・サウンズ」の解説の一部です。
「ブルワーズ時代 (2005年–2014年)」を含む「ナッシュビル・サウンズ」の記事については、「ナッシュビル・サウンズ」の概要を参照ください。
- ブルワーズ時代のページへのリンク