ブリンナーの王様役再演
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「王様と私 (ミュージカル)」の記事における「ブリンナーの王様役再演」の解説
1976年初頭、25年間王様役を演じてきたブリンナーは興行主のリー・グラバーとシェリー・グロスから全米ツアー公演とブロードウェイ再演のオファーを受けた。1976年7月26日、ロサンゼルスにてコンスタンス・タワーズがアンナ役で全米ツアー公演が開幕した。初日、ブリンナーは喉頭炎により、息子ロックがオーケストラ・ピットから発する声に合わせて口パクで演技をした。全米ツアー公演は各都市完売で、1977年5月2日、ユーリス劇場(現ガーシュウィン劇場)でブロードウェイ再演が開幕した。このプロダクションはマーティン・ヴィドノヴィックがルン・タ役、イライザ役オリジナル・キャストのユリコの娘スーザン・キクチがイライザ役に配役された。ユリコが演出およびロビンスの振付の再現を行なった。シャラフが再度衣裳デザインを担当し、カーモヤンがクララホム首相役を再演し、ジューン・アンジェラがタプティム役に配役された。約2年かけて696回上演し、うち3週間、タワーズの代役にアンジェラ・ランズベリー、ブリンナーの代役にカーモヤンが入った。このプロダクションはドラマ・デスク・アワードミュージカル作品賞にノミネートされた。 ブリンナーはユーリス劇場についてまるで「公衆トイレ」のようだと語った。またブリンナーはツアー公演の劇場やユーリス劇場では楽屋を自分仕様にアレンジしていたと語った。ブリンナーの伝記作家のミケランジェロ・キャプアによると、出演者たちはブリンナーが全米の舞台裏施設を改善してくれたと感謝していた。『ニューヨーク・タイムズ』紙のレビュー記者クライヴ・バーンズは再演について「出演者がとても良い。ブリンナーの笑顔や魅力は開幕当時とほとんど変わらない」とし、タワーズは「甘すぎず上品で美しい」と評した。しかし『タイムズ』誌の批評家メル・ガッソーは再演終盤で「ブリンナーの惰性的カリスマ性には限りがある」と記した。 1979年、ニューヨーク公演後、ブリンナーとタワーズが出演したツアー公演が再開された。1979年6月12日、このプロダクションはウエスト・エンドにあるロンドン・パラディウムに移行し、イギリスの舞台史上最大売上を記録した。ブリンナーは「舞台はなまものである」と語った。ロンドン公演ではヴァージニア・マッケンナがアンナ役を務め、ローレンス・オリヴィエ賞を受賞した。ジューン・アンジェラがタプティム役を再演し、ジョン・ベネットがクララホム首相役を演じた。1980年9月27日に閉幕した。 ブリンナーはロンドン公演終演後数か月休みを取り、3度目の離婚をした。1981年初頭、同じプロダクションでの全米ツアーが再開し、ブロードウェイ公演に移行した。ミッチ・リーがプロデュースおよび演出を務め、ロビンスの振付を1977年のユーリス公演に引き続きレグリーのサイモン王役を演じたレベッカ・ウエストが再現した。パトリシア・マランドがアンナ役を演じ、マイケル・カーモヤンがクララホム首相役を再演し、パトリシア・ウェルチがタプティム役を演じた。1981年、ケイト・ハンター・ブラウンがアンナ役を後継し、その後の1年半以上演じ続けた。1983年までにメアリー・ベス・ペイルがアンナ役に配役された。1983年9月13日、ロサンゼルス公演にてブリンナーは王様役4,000回記念公演を行なった。しかし手術不可能な肺癌にかかり、腫瘍縮小のための痛みを伴う放射線療法を受けるため数か月間閉幕した。『ワシントン・ポスト』紙の批評家は1984年12月のブリンナーのさよならツアー公演と予想された公演を観劇し、以下のように記した: 1951年、ブリンナーがオリジナル・プロダクションに出演した時、彼はまだ新人で、ガートルード・ローレンスはスター女優であった。33年が経ち、上演回数は4,300回となり、彼は王様役だけでなく、舞台の王様となった。演技の天才であるだけでなく、この長期間、役を改善する才能もあるに違いない。表情も動きも適切である。腰に手を当てる仕草、坊主頭、強面がP&Gのミスター・クリーンを思い起こさせ、ミスター・クリーンは最初にブリンナーを思い起こさせる。 1985年1月、ニューヨークにあるブロードウェイ劇場で191回上演され、ブリンナー、ペイル、ウエストが再び出演した。イライザ役はブリンナーの4番目の妻ケイシー・リー・ブリンナーが配役され、新人のジェフリー・ブライアン・デイヴィスがルイス役を演じた。この間、ブリンナーは耳と咽喉の感染症で『A Puzzlement 』が歌えなくなったが、バルコニーの上で「エネルギーを爆発させていた」。ブリンナーはトニー賞において特別賞を受賞し、そしてアンナ役のペイルは助演女優賞に、リーは演出賞にノミネートされた。『ニューヨーク・タイムズ』紙の批評家のフランク・リッチはブリンナーを「アンナに挨拶する『The March of the Siamese Children 』での子供たちとのコミカルな父親、そしてもちろん臨終のシーンなどが最高であった。役者としての力を兼ね備えたスターであるブリンナーは『王様と私』に不可欠である」と称賛したが、プロダクションに対しては「活気がない」と記した。1985年6月30日の閉幕日、ブリンナーの4,625回出演に敬意を表してスペシャル版で上演された。閉幕から4か月も経たない10月10日、ブリンナーは亡くなった。 1989年8月から1990年3月、北米ツアー公演が行なわれ、ルドルフ・ヌレエフが王様役、リズ・ロバートソンがアンナ役、カーモヤンがクララホム首相役に配役され、ロビンスのオリジナルの振付でアーサー・ストーチが演出した。レビューは一様に批判的で、王様役を演じたヌレエフに関して「招かれざる客であるすねた若者のようにその辺に立っている。ダンス曲でさえうまくいっていない。ロジャースとハマースタインの王様は人の心を引き付けるものであるが、ヌレエフの王様は曲『Something Wonderful 』に描かれているものと全く違う。そのため皆が恐ろしい有権者と関わっているように装う茶番に見え、個性がほとんど見えない」とされた。
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