劇場について
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収容人数は約千人弱程度。大阪市内のうめだ花月・なんば花月と比して格下の劇場と位置付けられており、出演する芸人も、(時間に余裕のある)人気の低い若手芸人や旬を過ぎた芸人が多くを占めた。うめだ・なんばと異なり、一時読売テレビが吉本新喜劇を『上方お笑い劇場』として放送したことがある以外は定期的なテレビ中継は入らなかった。番組構成はうめだ・なんばと同じで原則1日2回公演であり、1回目と2回目の出演者は同じで入れ替え制は採っていなかった。漫才を中心に演芸番組が進行し、途中「ポケットミュージカルス」と名付けた吉本専属歌手の歌と吉本コメディアンによるミュージカルコントコーナーが中程にあり、トリは吉本新喜劇の公演であった。なお、この吉本新喜劇の演目はうめだ花月と共通であった。 ただし、1983年8月から京都花月単独の新喜劇が上演されるようになり、新喜劇公演も1986年10月下席で終了となった。 10日ごとに番組が入れ替わり、上席(1 - 10日)・中席(11 - 20日)・下席(21 - 30日)があった。うめだ・なんばと同じく31日は特別興行が行われた。なお、毎年7月中席は「宵山寄席」と銘打った興行が行われていた。 日本芸能界初のプロ和太鼓集団であった「王将太鼓」の京都花月における舞台初日は、1966年(昭和41年)6月1日である。(関連人物:高山正行) ダウンタウンも若手の頃に出演。なお浜田雅功は、幾度か楽屋に寝泊りしたことがあり、その時に人の気配がしたが誰もいなかったことがあったと語ったことがある。他の芸人も楽屋でよく心霊的な現象を体験したと語っているが、この土地は寺に囲まれており、かつて墓場であったといわれていた。
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劇場について
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収容人数は立ち見を含めて約千人程度 と大規模であった。それでも、1980年前後の漫才ブームでは詰めかける観客が入りきれず、楽屋や舞台袖にまで観客を入れていた。また、出入口が1か所しかなく、芸人も観客も同じ場所から出入りしていた。そのため、公演終了後に劇場の外でお目当ての芸人が出てくるのを待ち受ける観客(現在で言う出待ち)が多く見られた。 番組は上席(1 - 10日)・中席(11 - 20日)・下席(21 - 30日)と10日ごとに替わり、1日2回公演が原則ながら日祝日やゴールデンウィーク、夏休みなどは3回公演も行った。入れ替え制はとらなかった。なお、1回目と2回目の出演者は原則同じであったが、出演者に営業の仕事が入っていたり、放送番組の仕事があったりする場合はこの限りではなかった。また、31日がある月はその日だけの特別興行を行った。 番組構成は若手芸人から始まり、漫才数組に諸芸が入るといった物。諸芸は落語・漫談・講談・浪曲・手品などで、出番はは併せて1 - 2組程度であった。落語は毎回組まれていたものの、講談や浪曲は滅多に組まれていなかった。中入りに代わる物として「ポケットミュージカルス」という出し物があり、吉本コメディアンのコントと吉本専属歌手の歌を組み合わせたバラエティショウがあった。トリは漫才でも落語でもなく、吉本新喜劇の公演であった。なお、演芸とポケットミュージカルス、吉本新喜劇の合間には一度緞帳が下りていた。 吉本新喜劇の演目はうめだ花月、京都花月とは異なるものを掛けていた。これはうめだ花月の舞台中継が毎日放送で行われていたのに対し、なんば花月の舞台中継は朝日放送で行われていたため、内容が重複しないように配慮したものである。 劇場運営は吉本興業が採用した進行係が行い、東京の寄席の様に噺家の前座が行うようなことはなかった。また、角座と異なりお茶子が舞台に上がることもなく、落語のセッティングなどもすべて進行係が行った。 落語の場合、下座音楽は噺家の前座や下座専門の囃子方が行うのではなく、テープで代用した。また舞台上には可動式の赤毛氈を貼り合わせた大きな落語用の台座が置かれ、噺家はそこに登って口演した。なお、見台は置かなかった。 当時舞台の出演者の表示には、めくりが使われていた(現在は舞台後方にあるスクリーンに表示もしくは、舞台横の壁に看板が設置される)。この「めくり」は、芸人が落書きをしたりしており、その多くを河内家菊水丸が所持している。 日本芸能界初のプロ和太鼓集団であった「王将太鼓」の「なんば花月」における舞台初日は、1966年(昭和41年)5月1日である。(関連人物:高山正行)
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