劇場の歴史
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マリインスキー劇場の起源は、1783年に女帝エカチェリーナ2世の勅令により、オペラとバレエの専用劇場としてサンクトペテルブルクに開設された「帝室劇場」である。石造りであったことから「石の大劇場」(ボリショイ・カーメンヌイ劇場)の名前で親しまれていた。ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクに建てられた皇室の劇場で、帝国を代表するオペラ、バレエの中心施設であった。 1859年、アルベルト・カヴォスの設計によりネオ・ビザンチン様式の現在の劇場が竣工した。翌1860年、皇帝アレクサンドル2世の皇后マリア・アレクサンドロヴナの名に因み、「マリアの」という意味の「マリインスキー帝室劇場」と名付けられた。1886年、併存していたカーメンヌイ劇場の閉鎖により、オペラとバレエは全面的にマリインスキー劇場に移管され、黄金時代を迎えることになった。 スターリン時代の1935年に、前年に暗殺された共産党の指導者セルゲイ・キーロフを悼み「キーロフ劇場」と改名された。1991年のソ連解体後、1992年に「マリインスキー劇場」の名称に戻った。 2003年に、ポストモダン派の建築家D・ペローが、新築部分の設計コンクールに優勝した。 2013年、隣接地に建設されていた劇場新館が竣工し、5月2日にウラジーミル・プーチン(ロシア連邦大統領)が出席して杮落とし記念式典が開催されると共に新劇場での公演が開始されている。 クラシック・バレエの名作「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」は、ここで初演された。マリインスキー・バレエ、マリインスキー・オペラ、マリインスキー劇場管弦楽団が、ここを活動の本拠地としている。建造物は、サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群の一部としてユネスコの世界遺産に登録されている。
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