劇場の改修・管理と終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 22:11 UTC 版)
「築地小劇場」の記事における「劇場の改修・管理と終焉」の解説
劇場の建物は震災復興の土地区画整理のため1928年(昭和3年)に数10mの曳屋を行い、さらに1933年(昭和8年)にも改築を行った。その後1934年(昭和9年)、「新築地劇団」が分裂し、「新協劇団」ができると、劇場は、両劇団の中心メンバーによる管理委員会が管理するようになった。さらに、大改装が必要になったのを機に、土地建物の所有者である土方家からそれらを買収。資本金8万円の「株式会社築地小劇場」を創立して改築にあたり、1939年(昭和14年)11月に工事を完了した(山口文象の設計による)。 1940年(昭和15年)8月、「新築地劇団」と「新協劇団」の劇団員が大量検挙。同年8月20日、警視庁特高第一課はそれぞれの劇団の代表者を呼び出し、社会主義思想を基調とした劇団を自発的に解散するように強要した。このことを受け、両劇団は解散決議を余儀なくされた。 同年11月1日、第二次世界大戦の激化に伴い統制が強まり、国民新劇場と改称。文学座が主に使用するようになった。1944年(昭和19年)12月の劇団文化座の『牛飼いの歌』上演が演劇公演の最後となり、建物は1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で焼失した。
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