劇場の経営規則との戦い
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「地獄のオルフェ」の記事における「劇場の経営規則との戦い」の解説
こうして順調に劇場経営のスタートを切ったかに見えたオッフェンバックだったが、彼には宿命とも言える問題がこの頃から発生する。それは金銭問題である。彼の目立ちたがり屋で派手好きな性格が、金に糸目をつけずに舞台を作るという経営方針を生んでいた。しかしこの方法だと、ブフ・パリジャン座のような出来て間もない新しい劇場では慢性的な赤字を呼ぶこととなり、それまでのような一幕物だけでは限界が来ていた。そこでオッフェンバックは、もっと手っ取り早く稼ぐ方法として、1幕以上の規模の大きな形態での作品の上演を目指そうとした。しかし当時、劇場や出版物の検閲を担当していたフランス内務省の劇場経営規則が障害となる。1855年6月4日に決められたこの規則によると、ブフ・パリジャン座のレパートリーは、パントマイム(登場人物5人)、1場からなる舞台(台詞を言う俳優は4 - 5人のみ)、ダンスショー(ダンサーは6人まで)と限定されていた。また内務省の許可なくコーラスを入れることは禁じられていた。 当初この規則に従ったオッフェンバックだったが、1857年2月12日初演の1幕物『クロックフェール、最後の遍歴騎士(英語版)』という作品で、この規則を逆手に取る。それは作品の登場人物の一人を「舌を切り取られて口がきけない騎士」という設定にして、台詞の代わりにプラカードを持たせたのである。台詞を言わなければ4 - 5人までにカウントされないので、6人の人物が舞台に登場することができたのである。さらにオッフェンバックは、親しくしていたモルニー公の助力を受けてこの規則の撤廃を働きかけ、ついに登場人物数、コーラスともに制限無しという条件を獲得することに成功した。1858年3月3日初演の『市場の女達(英語版)』で大人数のコーラスを初めて導入した。
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