フレデリックスバーグおよびチャンセラーズヴィルとは? わかりやすく解説

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フレデリックスバーグおよびチャンセラーズヴィル (1862年-1863年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 05:27 UTC 版)

東部戦線 (南北戦争)」の記事における「フレデリックスバーグおよびチャンセラーズヴィル (1862年-1863年)」の解説

詳細は「フレデリックスバーグの戦い」および「チャンセラーズヴィルの戦い」を参照 1862年11月7日リンカーン大統領は、マクレランがシャープスバーグから撤退するリー軍を追撃しなかったことを理由解任した。アンブローズ・バーンサイドアンティータムでの軍団指揮者としてその平凡な戦果にも拘らずポトマック軍団の指揮官任命された。リンカーン今一度、その将軍達できるだけ早く攻撃仕掛けるよう圧力を掛けた。バーンサイドがその任務与えられ直接南のリッチモンド向けて進む作戦立てたバーンサイドラッパハノック川をフレデリックスバーグ渡り南軍とその首都の間に行くことで、リー軍の側面衝くことを期待した。しかし、管理上の難しさがあったために、船橋架けるための平底船が時間通り到着することができず、またバーンサイド軍はフレデリックスバーグから軍が川を渡りきるまで待たねばならず、その間リーが町背後高台の上防衛線を構築する時間与えてしまった。バーンサイド諦めるでもなく、また他の方法探すでもなく川を渡り12月13日リー軍の左翼にあたるメアリーズハイツに大規模な正面攻撃掛けた。その攻撃右翼向けておれば成功した可能性があったが、そうはせずに防御固めた高台無益な波状攻撃掛けた北軍その日12,000名を失った南軍損失はかなり少なかった。 この敗北ワシントンでの当惑にも拘らずバーンサイドはまだ指揮外されなかった。フレデリックスバーグ南へ攻撃作戦立て直したが、1863年1月不名誉な泥の行進というミス繋がってしまった。この後バーンサイド部下将軍達徒党組んでワシントン政府陳情しバーンサイド軍隊指揮することができない伝えた。この将軍達一人ジョセフ・フッカーであり、1月26日ポトマック軍指揮官指名された。フッカー以前の作戦軍団指揮官として秀でた戦果挙げており、その冬の残りの期間は軍隊再組織化補給行い、特に兵士の健康と士気注意払ったフッカー自分攻撃的な性格知っており、リー軍に対する春の作戦計画緻密に練った両軍以前フレデリックスバーグの戦いと同じ配置付いたフッカージョージ・ストーンマン配下騎兵隊南軍後方送ってその補給戦混乱させよう考えた1つ軍団リー軍の注意フレデリックスバーグ引き付けている間に、他の軍団抜け出して密かに回り込みリー軍の背後から大群押し包んで捕まえてしまおうというものだったリー軍はロングストリート中将軍団バージニア南部食糧調達派遣しており、勢力的57,000名対97,000名と劣勢であった作戦当初うまくいき、ポトマック軍大部隊がラピダン川を渡って5月1日には配置付いた。しかし、敵との小さな初期接触後でフッカー自信失い始め作戦通り北部バージニア軍背後を撃つよりも、チャンセラーズヴィル防衛的な拠点に引く方を選んだ5月2日リー戦争中でも最も大胆な操軍を行った自軍フッカー軍の攻撃備えて両翼分けていたのだが、さらに兵力割いてストーンウォール・ジャクソン2万名の兵士与えフッカー軍の防備が薄い右翼大きく回りこませたジャクソン軍団はほとんど完璧な急襲掛け北軍のオリバー・ハワード少将指揮する第11軍団壊滅させた。ジャクソンはこの成功続いて自軍前線偵察している時に友軍銃火瀕死の重傷負った5月3日リーチャンセラーズヴィル防衛線に繰り返し攻撃掛けて損失出している間に北軍ジョン・セジウィック少将指揮下の第6軍団がアンブローズ・バーンサイドがどうしても果たせなかったフレデリックスバーグのメアリーズハイツの軍勢攻撃して成功した。この軍団西方移動し再度リー軍の後方脅かしたリー軍はポトマック軍両翼あしらいながら怯んでしまったフッカー防衛的な姿勢取らせセジウィック不確かな接近には1個師団派遣した5月7日までにフッカー全部隊をラッパハノック川の北に撤退させた。リーにとって13,000名すなわち全軍25%を失うという高価な勝利になったフッカーの方は17,000名を失った比率としては小さかった

※この「フレデリックスバーグおよびチャンセラーズヴィル (1862年-1863年)」の解説は、「東部戦線 (南北戦争)」の解説の一部です。
「フレデリックスバーグおよびチャンセラーズヴィル (1862年-1863年)」を含む「東部戦線 (南北戦争)」の記事については、「東部戦線 (南北戦争)」の概要を参照ください。

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