奥さん!2時です
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『奥さん!2時です』(おくさん にじです)は、東京12チャンネル(現・テレビ東京)と毎日放送 (MBS) が共同製作した主婦向けのワイドショーである。
- ^ 当時の「東京12チャンネル」の放送免許人は財団法人日本科学技術振興財団であったが、テレビ事業が極度の経営不振に陥ったため、その再建支援のために毎日放送が日本生命保険ほか財界各社と発足させたテレビ放送制作運営会社が、株式会社東京十二チャンネルプロダクション、すなわち現在の放送免許人株式会社テレビ東京である。日本生命保険は1969年日本経済新聞社が同社に対し大口出資を行うと撤退したが、毎日放送はTBS系列に移行し、さらに持株会社化して『MBSメディアホールディングス』に改名し、事業会社を毎日放送(新法人)に承継したのちも依然としてMBSメディアホールディングスが同社(持株親会社を設立したので、現在は同社の親会社である株式会社テレビ東京ホールディングス)に対し出資を続けている。
- ^ JNN加盟局に義務付けられている排他協定(現在も同様)により、JNN非加盟局である東京12チャンネルと正式なネットワークを組めなくなったため。
- ^ ただし、一部番組は番組販売の扱いでテレビ大阪の開局する直前の1982年2月まで継続した。
- ^ これ以後、毎日放送は単独で主に西日本のJNN系列を中心としたブロックネットの主婦向けワイドショー(『スタジオ2時』 → 『ワイドYOU』など)を放送
- ^ 『北海道新聞』(縮刷版) 1972年(昭和47年)4月 - 1974年(昭和49年)3月、テレビ欄。打ち切り後は外国テレビ映画『略奪された100人の花嫁』(1972年に東京12チャンネルで放送)を放送した。
- ^ 『北日本新聞』1972年10月16日付 - 10月20日付各朝刊、テレビ欄。
- ^ 出典:読売新聞・岡山版。1973年4月9日・7月2日、10月1日(いずれも月曜日、20ページ)、テレビ・ラジオ欄。
- ^ 広島ホームテレビは10月1日試験放送開始時点から本放送並みの全日編成を組み、12月1日の本放送開始までに中継局10か所の整備を進め、広島県内90.2%をカバーさせた(中国新聞、1970年10月1日、10ページ全面広告『県民待望の広島ホームテレビ、いよいよ試験放送開始。90%がカラー放送』、17ページ、テレビ・ラジオ欄)。
- ^ この影響で、中国放送にもNETテレビ→テレビ朝日・腸捻転時代の毎日放送・腸捻転解消後の朝日放送の番組がしばらく残り、テレビ新広島の開局後も『料理手帖』(朝日放送)・『宇宙魔神ダイケンゴー』(テレビ朝日)などわずかな番組が放送された(前者はその後広島ホームテレビに移行)。
- ^ 当時JNNに昼間のスポットニュースが設定されなかったことから、排他協定の例外措置として産業経済新聞社配給番組に準じた扱いで「サンケイ奥さまニュースFNN」を「奥さまニュース」というタイトルに差し替えて放送していた。
- ^ 毎日放送はラジオ部門で系列関係のニッポン放送・文化放送を通じて間接的にフジテレビとも関係がある。こうした経緯から開局準備段階ではフジテレビとのネットワーク関係も模索されていた。
- 1 奥さん!2時ですとは
- 2 奥さん!2時ですの概要
- 3 概要
- 4 司会者
- 5 放送時間
- 6 出典
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