ピーテル・デ・ホーホの画風
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「ピーテル・デ・ホーホ」の記事における「ピーテル・デ・ホーホの画風」の解説
ピーテル・デ・ホーホの初期の画風と素材は、非番に賭け事や酒、タバコを楽しむ兵士たちや女中とのからみのようなもので、またアドリアン・ブラウエルをイメージさせるような人物の表情に重点が置かれ背景をぼやかすような画風であった。それが1656年から57年頃から急激に変化する。透視画法(遠近法)を用いた室内空間に人物を配置したような絵に変化していった。学者の小林頼子は1656年から57年頃はおそらくデ・ホーホがサミュエル・ファン・ホーホストラーテンやフェルメールと出会った時期でそのことと関係があるのではないかと推測する。 フェルメールの『兵士と笑う娘』はデ・ホーホの『カード遊びをする二人の兵士とパイプを詰める女』と構図がよく似ている。デ・ホーホはテーブルの右側に座った男の額の少し前方に消失点を設定し、窓を手前よりやや奥の位置から画面の端で途切れるようにして、奥の壁に近い位置にある窓との大きさに違いが目立たないようにしている。また、正面奥にある壁と床面の交わる線が画面全体からみてあまり高くない場所にして、左後方の奥行きを暖炉と立った女性を描き込むことによってバランスのとれた空間の後退を表現している。ロンドンのナショナル・ギャラリーにある『二人の士官と女』はフェルメールの『紳士とワインを飲む女』を想起させる。『紳士とワインを飲む女』はフェルメールが左に偏って消失点をとりすぎたために手前左の窓が大きくなり、床面のタイルがなんとなくゆがんで奥の壁際で極端に小さくなってしまっているが、デ・ホーホの方はバランスのとれた画面構成となっている。 フェルメール『兵士と笑う娘』 (ニューヨーク, フリック・コレクション) (1657-1659) フェルメール『紳士とワインを飲む女』(1658-1661年頃) 『男二人、給仕の女と杯を交わす女』(1658年頃) 『母親の義務-母の膝にあたまを預ける子供』(アムステルダム国立美術館, 1658-60年頃) また、フェルメールの『兵士と笑う娘』はロンドンのナショナル・ギャラリーにあるデ・ホーホの『男二人、給仕の女と杯を交わす女』に用いられた部屋と酷似している。正面奥の壁には北を左側に横倒しにしたオランダ(ネーデルランド)の地図があり、デ・ホーホが後ろ向きに立った女性を描いた位置にフェルメールはつばの広い帽子をかぶった軍人と思しき人物を座らせ、デ・ホーホが二人のとぼけたような表情の兵士を描いた間くらいの位置に若い娘を座らせた。デ・ホーホは好んで正面左から射す光のモチーフを描いたが、『母親の義務-母の膝にあたまを預ける子供』(1658年頃)のように右手から射す光を用いた絵を描いたこともある。デ・ホーホが描いた『オウムと男女』(1668年)もフェルメールの『恋文』(1669 - 70年頃)に応用され、両方とも手前の部分を暗くし奥の部屋はよく似たカーテンが一部さえぎるように描かれている。デ・ホーホの場合は男性と女性であるが、フェルメールは座っている女主人の背後に女中が立っている構図である。 ピーテル・デ・ホーホは『戸口越しの眺め』という画題で呼ばれる半分開いた扉とそこから見える風景というモチーフを用いた。フェルメールとデ・ホーホを結びつける直接の文書は聖ルカ組合の登記簿であるが、ジョン・マイケル・モンティアスによるとフェルメール家の公証人をつとめたフランス・ボーヘルトの記録のなかに、フェルメールの義母マリア・ティンスの名前とともにデ・ホーホの名前が出てくると指摘する。デ・ホーホは自宅の近所をときどき描いておりデルフトの旧教会の塔が描かれているものがみられる。またデ・ホーホはデルフトの旧教会から100m以内の場所にある旧ヒエロニムスダール修道院へつながる通路である聖ヒエロニムスポールトの入口にある1614年の年号が刻まれた石の表札ないし銘板がみられる絵、すなわち『デルフトの中庭』など2点を描いている。そのうち1点にはクレイパイプを吸うひげを生やした男と金属製のビールジョッキをもつ男、そのかたわらにワイングラスを片手に持って立っている女が描かれている。作家のアンソニー・ベイリー (w:Anthony Bailey) はフェルメールとデ・ホーホが話していてフェルメールの妻カタリーナがそばにいるのを描いたのではないかと考えている。デ・ホーホの絵には母親と子供がよく描かれ、母親が家事を切り盛りする姿や温かさといった美徳ないし理想像や、子供の躾や教育にからめた題材が選ばれていることがわかる。 フェルメール『恋文』(アムステルダム国立美術館, アムステルダム, 1670年頃) 『あずまやのある中庭で酒を飲む人々』(Figures Drinking in a Courtyard, 個人蔵, 1658年)。旧ヒエロニムスダール修道院へつながる通路である聖ヒエロニムスポールトの入口にある1614年の年号が刻まれた石の表札ないし銘板がみられる絵である。すなわち『デルフトの中庭』と同じ場所を描いている。 『デルフトの中庭』(ロンドン・ナショナル・ギャラリー, 1658頃) 1661年以降のアムステルダム時代には流行の娯楽を楽しむ上流階級の生活を描くことが中心となり、上品ではあるが、美術史的にはデルフト時代のもののほうが意義があり、優れていると評価されている。
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