ヒンドゥー教の成立とスムリティ
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「バガヴァッド・ギーター」の記事における「ヒンドゥー教の成立とスムリティ」の解説
「スマルタ派」も参照 『マハーバーラタ』の性質から『バガヴァッド・ギーター』はスムリティ(聖伝、伝承されているもの)、に分類される。紀元前200年から紀元後100年ごろに成立した種々のスムリティ(聖伝)は様々なインドの風習と宗教が統合に向かいつつあったこの時代においてヴェーダの権威を主張した「インドの諸文化、伝統、宗教の統合を経てヒンドゥー教の合成に至るプロセス(ヒンドゥ・シンセシス)」の発現期に属している。このヴェーダの受容は、ヴェーダに否定的な態度をとっていた異端の諸宗派を包み込む形で、あるいは対抗する形でヒンドゥー教を定義する上での中核となった。 このいわゆるヒンドゥー・シンセシスはヒンドゥー教の古典期(紀元前200年から紀元後300年)に表面化している。アルフ・ヒルテベイテル(英語版)は、ヒンドゥー教の成立過程における地固めが始まった時期は、後期ヴェーダ時代のウパニシャッド期(紀元前500年頃)とグプタ朝の勃興する時期(紀元320年から467年)の間に求めることが出来るとしている。氏はこの時期を「ヒンドゥー・シンセシス」、「バラモン・シンセシス」、「オーソドックス・シンセシス」などと呼んでいる。この変化は他の信仰や民族との接触による相互作用によってもたらされた。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}ヒンドゥー教の自己定義の発現は、このヒンドゥー・シンセシスの全期間を通して常に接触をもってきた異端の宗派(仏教、ジャイナ教、アージーヴィカ教)との相互作用、さらにはマウリヤ朝からグプタ朝時代への転換期においてその第3段階として流入してきた外国人(ヤバナと呼ばれたギリシャ人、サカすなわちスキタイ人、パルティア人、クシャーナ人)との相互作用という時代背景によってもたらされた。 『バガヴァッド・ギーター』はヒンドゥ・シンセシス、すなわちあらゆる宗教的な風習を取り入れる試みのコンセンサスを得た成果の結晶といえる。ヒルテベイテルは、バクティの思想をヴェーダーンタ学派に組み入れることがこの統合にとって不可分の要素をなしていたと述べている。エリオット・ドイツ(英語版)とロヒット・ダルヴィ(Rohit Dalvi)は、『バガヴァッド・ギーター』はインドの哲学における異なる立場、すなわちギャーナ、ダルマ、バクティ、これらの「ハーモニーを練り上げ」ようという試みであったと解釈している。ドイツらは、「バラモン教の風習が善性の手段としてダルマ(義務)の重要性を強調している」その横で、『バガヴァッド・ギーター』の著者は「異端である仏教やジャイナ教、そして比較的正統であるサーンキヤ学派やヨーガ学派の双方に救済論を認めていたに違いない」と語っている。アルフレッド・シェーペルス(Alfred Scheepers)は、カルマ(業)からの解脱というヨーガの思想とは対照的に、人の義務すなわちダルマに基づいて生きるという、バラモン教的思想を浸透させる目的でシュラマナ用語やヨーガ用語を用いている、という視点から『バガヴァッド・ギーター』をバラモン教的な聖典として見ている。バシャム(Basham)もまた、諸宗教の統合という観点から『バガヴァッド・ギーター』に言葉を寄せている。 『バガヴァッド・ギーター』はサーンキヤ学派とヴェーダーンタ学派のたくさんのそれぞれに独立した要素を結びつけている。そして宗教上のその一番の貢献は、以降ヒンドゥー教の根幹として残る「帰依」を強調したことにあった。さらに、マハーバーラタに表現された一般的な有神論、ウパニシャッドが補っている超絶論主義、そして神の個性をブラフマンと同一視するヴェーダ的な伝統をそのあとに続けることができる。『バガヴァッド・ギーター』は、インドの宗教の3つの支配的な趨勢すなわち、ダルマに基づいた在家の生活、解脱に基づいた出家者の規範、帰依に基づいた有神論の類型論を提示している。 ラージュ(Raju)もまた『バガヴァッド・ギーター』にインド諸宗教の合成を見ている。 『バガヴァッド・ギーター」は、観念的な一元論と人格神を抱く一神教的思想、行為のヨーガと行為の超越へ達するヨーガ、これらと帰依と知識のヨーガの統合作品として扱われているといえる。 『バガヴァッド・ギーター』がインドの宗教観に与えた影響は大きく、この諸宗教の統合体はその後いくつかのインドの思想にもそれぞれに合致するよう調整され、組み入れられた。ニコールソンは(Nicholson)『シヴァ・ギーター』(『パドマ・プラーナ(英語版)』の一部)についてヴィシュヌ寄りの『バガヴァッド・ギーター』を、シヴァ寄りの言葉に翻案したものとして触れている。さらには『イーシュヴァラ・ギーター』(Īśvara Gītā)を、クリシュナ寄りの『バガヴァッド・ギーター』からすべての詩を借用し、新しいシヴァ派の文脈にはめ込んだものとしている。
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