ヒンドゥー教における釈迦観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 09:25 UTC 版)
「ヒンドゥー教における釈迦」の記事における「ヒンドゥー教における釈迦観」の解説
影響力のあるヴァイシュナヴァ派詩人ジャヤデーヴァ・ゴースワーミーの『ギータ・ゴーヴィンダ』のダシャーヴァターラ・ストートラの部分では釈迦をヴィシュヌの十化身のうちに含め、彼に関する次のような祈りを書いている。 ケーシュヴァよ!宇宙の主よ!ブッダの姿を装った主ハリよ!全ての栄光はあなたに!慈悲深い心のブッダよ、あなたはヴェーダの犠牲の法に拠って執り行われる哀れな動物たちの屠殺を非難なさる。 — この、主に非暴力(アヒンサー)を促進したアヴァターラとしての釈迦観はクリシュナ意識国際協会(ISKCON)を含む現代のヴァイシュナヴァの多くの団体のうちに一般的な信条として存続している。 サルヴパッリー・ラーダークリシュナンやヴィヴェーカーナンダのような他の顕著な現代ヒンドゥー教の提案者たちは、釈迦を世界中の全ての宗教の背後にある同じ普遍的真実の教師とみなした。 ヒンドゥー教徒のブラフマン、ゾロアスター教徒のアフラ・マズダー、仏教徒のブッダ、ユダヤ教徒のエホバ、キリスト教徒の天の父である彼が、あなたがその高貴な理念を実行するように強さを与えられますように! — ヴィヴェーカーナンダ、 もしヒンドゥー教徒がガンジスの蔵でヴェーダの祈りをするならば…もし日本人が仏像を崇拝するならば、もしヨーロッパ人がキリストの仲裁を確信するならば、もしアラブ人がモスクでコーランを読むならば……それは彼らの最深の神理解であり、彼らに対する神のこの上なく満たされた啓示である。 — ラーダークリシュナン、 立松和平がインドに行ったとき、マルカスというキリスト教徒が「ヒンドゥー教の考え方」として以下のように語るのを聞いたという。 六道輪廻では八百五十万回生まれ変わらねばならないとされています。そのうち一回だけ人間になれます。この時に輪廻から解脱することができるのです。ブッダはそのことを証明するために、ビシュヌ神の生まれ変わりとして人間界にでてきたというのがヒンドゥー教の考え方です。 — ヒンドゥー教内では、例えばラーマあるいはクリシュナのようなアヴァターラが一般的に至高の神として崇拝されているが、ブッダに同様な方法でのヒンドゥー教徒からの崇拝が行われているのは、さほど見られない。
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