ノスタルジアを想起する理由とその対象
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 13:28 UTC 版)
「ノスタルジア」の記事における「ノスタルジアを想起する理由とその対象」の解説
ノスタルジアの感情は人間の五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)全てから得ることができる。嗅覚は嗅細胞、嗅球を介して大脳辺縁系に接続されているため、記憶や感情を呼び起こしやすいと言われている(プルースト効果)。視覚は既視感(デジャブ)から想起される可能性もある。また前項で述べたように想像や推測によってこの感情が誘起されることもあり得るため、言語・文化の相違が影響することはない。 自伝的記憶によって引き起こされるノスタルジアの感情は、過去のある時期における情報への接触頻度の高さと、接触時期から現在までの長い時間経過が考えられる。過去における事物との頻繁な接触があり、その後全く接触がない長い空白期間、そして現在において過去に接触した事物または類似した事物に再び接触することである。その事物が手がかりになって、強い懐かしさの感情とともに、その当時の個人的思い出や社会的出来事などが連鎖的に思い出され、過去へのタイムスリップが起こると考えられる。 想像や推測から得られるノスタルジアの感情は、その一見理解し難い生起機序から「前世の記憶」、「人類共通の記憶」といったオカルト的な要素に結びつけられることがある。しかしながらその多くは自己投影・感情移入の容易さに関連していることは周知の通りである。一般的に想像や推測から得られるノスタルジアの感情は視覚からの情報が主(発端または引き金)であり、また完全な自然物よりも、人工物とそれに付随する自然物や空間によって想起される。それは事物に関わる人々や空間に対して自己投影・感情移入がしやすいことで、推測によって体験が擬似的に行われるためである。それがあたかも過去に経験したかのような錯覚を生じさせている。個人本位の無機的対象から有機的対象への意識の変換である(メタファーの作用にも関連する)。この過程は無意識下に行われるため、感情を自らコントロールすることは難しい。またその変換は視覚情報から聴覚、嗅覚情報へと拡大するため、空白期間の後に聴覚や嗅覚の情報のみ与えたとしても以前に得たノスタルジアが想起される。 一例として里山の風景が挙げられる。里山を単に山として捉えた場合はあくまで自然物であり人間の存在を感じさせない事物である。山に無機的な印象が生まれるため、ノスタルジアの感情は想起されにくい。しかし山の麓に民家や田畑、神社といった人工物が存在することで、そこに住む/住んでいたであろう人々に対し自己投影が働く。必然的に山に対しても身近で有機的な印象を受けるため、(そこで実際に生活したことがなくとも)その風景に「懐かしい」という感情を生じさせる。その反応はセミの鳴き声や田畑の匂いといった聴覚、嗅覚情報にまで拡大していく。 一方でこういったノスタルジアの想起には個人差があることも事実である。過去に推測によって得たノスタルジア感そのものが自伝的記憶となっていたり、マスメディアや映画・小説・漫画等によってその印象が増幅されている可能性もある。「懐古主義」とも関連する。あるいは集合的無意識との関連性も考えられるなど、解明されていない点が多くある。 例えば、博物館の展示において、白黒写真をあえてセピア調にする、あるいは展示室の照明を暖色系にして夕焼けのイメージに近づけるなどの手法は、いずれもノスタルジックな演出として有効とされるが、その法則について根本的な解明には至っていない。 消費者行動や広告研究の流れの中でB.B.スターンは、「生まれる以前の古き良き時代の、歴史的物語や歴史上の人物への感情移入によって生じるもの」を「歴史的ノスタルジア」として定義したが、堀内圭子によれば、歴史的知識がノスタルジックなものになるための条件は十分に解明されていないとし、たとえば「年表を眺めていてもなかなかノスタルジックな気分にならない」ことの意味を問う必要があると指摘する。
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