ドーハの奇跡とは? わかりやすく解説

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ドーハの悲劇

(ドーハの奇跡 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/27 10:38 UTC 版)

ドーハの悲劇(ドーハのひげき, 英語: Agony of Doha[1])は、1993年10月28日[注 1]カタールの首都・ドーハアルアリ・スタジアムで行われたサッカーの国際試合、日本代表イラク代表戦の日本における通称


注釈

  1. ^ カタール時間16時15分開始の日本-イラク戦でアディショナルタイムにイラクの同点ゴールが決まった時刻は18時過ぎであり、6時間の時差の関係で、日本では日付が変わり10月29日の0時過ぎとなっていた。
  2. ^ 三浦泰年は読売サッカークラブにいた頃ラモスや実弟の三浦知良とプレーし、SBをした経験もあった。
  3. ^ 当時のルールではFIFA公式戦の交代選手は2人まで。なお1994年ワールドカップ本大会からフィールドプレーヤー2人+ゴールキーパー1人の最大3人に改正された[19]
  4. ^ サッカー不人気の理由に「引き分けが多い」というイメージがあったため、発足当時のJリーグは90分間で同点の場合はVゴール方式の30分間の延長戦を行い、それでも決まらない場合はPK戦を行ない決着をつけるという、引き分けが一切起こらないルールを採っていた。
  5. ^ 当時は終了間際にタッチラインで第4の審判員がアディショナルタイムの目安を表示するルールはなかった。
  6. ^ 後半4分にオムラム・サルマンのヘディングシュートが決まったが、オフサイド判定で取り消され、怒ったイラクの観客が空き缶を投げ入れた。
  7. ^ 前節の試合で既に本大会出場を確定。
  8. ^ FIFA安全規則違反により、アジア予選のホームゲーム国内開催権を剥奪。
  9. ^ 組み合わせの都合により、日本は最終節の対戦がない。

出典

  1. ^ a b Agony amid drama in Doha”. FIFA.com. 国際サッカー連盟 (2017年6月12日). 2017年10月27日閲覧。
  2. ^ a b c 渡辺達也 (2013年10月14日). “「ドーハの悲劇」イラク戦で出場できなかった北澤豪の本音”. Web Sportiva. 集英社. 2013年10月15日閲覧。
  3. ^ 94ワールドカップサッカー アジア地区最終予選 - NHK放送史
  4. ^ 布施鋼治 (2013年10月27日). “平均視聴率48.1%!ドーハの悲劇、テレビ東京の舞台裏”. Web Sportiva. 集英社. 2013年11月2日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 一志治夫 (2013). “'93・10・28の夜〜希望と蹉跌を味わった者たち〜”. Sports Graphic Number (文藝春秋): 56-61. 
  6. ^ 松本秀夫『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』ぜんにち出版、2009年、245-246頁。ISBN 978-4-86136-122-7
  7. ^ a b 『1945-2015 サッカー「戦後70年史」』ベースボールマガジン社<分冊百科シリーズ12>、2015年、48頁。
  8. ^ 川淵三郎『私の履歴書』 日本経済新聞 2008年2月17日
  9. ^ 『Sports Graphics Number - ドーハの悲劇 20年目の真実』通号839号、61頁。
  10. ^ a b c 潮智史 『日本代表監督論』 63頁。 
  11. ^ a b c 大西秀明 (2013年9月5日). “ドーハの「悲劇」と「奇蹟」”. ことばマガジン (朝日新聞DIGITAL). http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/danwa/2013080500014.html 2018年7月17日閲覧。 [リンク切れ]
  12. ^ 『Sports Graphics Number - ドーハの悲劇 20年目の真実』通号839号、72頁。
  13. ^ ドーハの悲劇、20年後に出てきたエピソード”. web Sportiva. 集英社 (2013年10月20日). 2016年11月20日閲覧。
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  16. ^ 賢者は敗北に学ぶが、愚者は敗北に浸る……「ドーハの悲劇」生き証人・清雲栄純が語るオフトJAPAN”. ぐるなび (2017年8月10日). 2018年7月11日閲覧。
  17. ^ 93年のドーハ。DF勝矢寿延を奮い立たせた「ふたり」とは?”. Web Sportiva. 集英社. pp. 3-4 (2013年10月23日). 2018年6月29日閲覧。
  18. ^ 一志治夫『狂気の左サイドバック』、p186。
  19. ^ 大住良之 (1994年4月5日). “No.48 GKはサッカー選手ではない?”. サッカーの話をしよう. 2018年8月27日閲覧。
  20. ^ 鈴木洋史『天国と地獄 ラモス瑠偉のサッカー戦記』318頁。
  21. ^ 柱谷哲二が語るドーハの悲劇。イラク戦で投入してほしかった選手の名は”. Web Sportiva. 集英社. p. 6 (2020年2月1日). 2020年9月8日閲覧。
  22. ^ 鈴木洋史『天国と地獄 ラモス瑠偉のサッカー戦記』272頁。
  23. ^ a b 二宮清純 (2013年5月9日). “福田正博(サッカー解説者)<前編>「重圧に押し潰された“ドーハの悲劇”」”. sports communications. 2016年11月20日閲覧。
  24. ^ 『Sports Graphics Number - ドーハの悲劇 20年目の真実』通号839号、57頁。
  25. ^ 鈴木洋史『天国と地獄 ラモス瑠偉のサッカー戦記』271頁。
  26. ^ 鈴木洋史『天国と地獄 ラモス瑠偉のサッカー戦記』275頁。
  27. ^ 二宮寿朗 (2015年3月19日). “<再び世界の頂点を目指して> “未来のサッカー日本代表”を強くするために、今やるべきことを考える。”. Number web. 2016年11月21日閲覧。
  28. ^ "ラモス瑠偉". ワンダフルライフ. 20 July 2014. フジテレビ
  29. ^ 一志治夫『狂気の左サイドバック』182頁。
  30. ^ a b “ドーハの悲劇”から25年…ラモス瑠偉が武田修宏に「あり得ない!」と恨みを爆発”. ザテレビジョン. KADOKAWA (2018年5月7日). 2018年6月29日閲覧。
  31. ^ 『Sports Graphics Number - ドーハの悲劇 20年目の真実』通号839号、47頁。
  32. ^ 『Sports Graphics Number - ドーハの悲劇 20年目の真実』通号839号、25頁。
  33. ^ a b 『Sports Graphics Number - ドーハの悲劇 20年目の真実』通号839号、43頁。
  34. ^ a b 杉山 『「ドーハ以後」ふたたび』37頁。
  35. ^ 『Sports Graphics Number - ドーハの悲劇 20年目の真実』通号839号、31頁。
  36. ^ 鈴木洋史『天国と地獄 ラモス瑠偉のサッカー戦記』316頁。
  37. ^ 一志 『狂気の左サイドバック』188頁。
  38. ^ a b 鈴木洋史『天国と地獄 ラモス瑠偉のサッカー戦記』322頁。
  39. ^ 戸塚『青の群像 サッカー日本代表クロニクル 1992-2007』55頁。
  40. ^ 空白の17秒 ~日本がW杯にもっとも近づいた日~ クローズアップ現代+ 1993年12月22日放送
  41. ^ 鈴木洋史『天国と地獄 ラモス瑠偉のサッカー戦記』323頁。
  42. ^ ビートたけしのTVタックル 2017年7月2日
  43. ^ 二宮清純 (2013年11月3日). “ラモス瑠偉「復讐するは我にあり」”. sports communications. 2016年11月21日閲覧。
  44. ^ 二宮清純 (2010年12月10日). “第127回 日本代表監督、こう選んだ<前編>”. Sports Communications. 2016年11月20日閲覧。
  45. ^ 『1945-2015 サッカー「戦後70年史」』ベースボールマガジン社<分冊百科シリーズ12>、2015年、26頁。
  46. ^ 西部謙司 『サッカー日本代表システム進化論』<学研新書070>、学習研究社、2010年、81頁。
  47. ^ ドーハの悲劇から20年、セルジオ越後氏「あれは悲劇じゃない」 サッカーキング 2013年10月28日
  48. ^ 小野、高原、稲本ら後の黄金世代が出場、初のアジア王者に/1994年のAFC U-16選手権”. SOCCER KING (2015年9月19日). 2020年9月9日閲覧。
  49. ^ 浅田真樹 (2013年10月17日). “ドーハの夜。オフトが綴った「二文字」が日本の未来を開いた”. Web Sportiva. 集英社. 2013年11月2日閲覧。
  50. ^ “マイアミの奇跡”よりも熱かった! “ドーハの悲劇”の教訓が活かされたアトランタ五輪予選・サウジアラビア代表戦2/2 フットボールチャンネル 2013年10月11日
  51. ^ 【元川悦子コラム】アトランタ五輪プレイバック:「28年の壁」をこじあけた日本、そして「マイアミの奇跡」 Soccer Journal編集部 2012年6月20日
  52. ^ アジア杯優勝、もうドーハは「悲劇の地」ではなくなった (1/4ページ) 日本経済新聞 2011年1月31日
  53. ^ “手倉森監督感慨「歴史逆転させた」ドーハでイラク相手にロスタイムV弾”. Sponichi Annex. (2016年1月27日). http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/01/26/kiji/K20160126011928910.html 2016年1月27日閲覧。 [リンク切れ]
  54. ^ ドーハの奇跡!森保ジャパン、浅野V弾で逆転ドイツ倒,サンスポ,2022年11月24日
  55. ^ ワールドカップ 日本勝利 SNSでは“ドーハの歓喜”が話題,NHKスポーツ,2022年11月24日





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