吉田光範とは? わかりやすく解説

吉田光範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/17 04:31 UTC 版)

吉田 光範
名前
カタカナ ヨシダ ミツノリ
ラテン文字 YOSHIDA Mitsunori
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1962-03-08) 1962年3月8日(63歳)
出身地 愛知県刈谷市
身長 175cm
体重 66kg
選手情報
ポジション FWMFDF
利き足 左足
ユース
1977-1979 刈谷工業高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1980-1995 ヤマハ/ジュビロ磐田 275 (35)
通算 275 (35)
代表歴2
1988-1993 日本 35 (2)
監督歴
2001 ジュビロ磐田ジュニアユース
2007-2009 ジュビロ磐田ユース
1. 国内リーグ戦に限る。2021年10月10日現在。
2. 2021年10月10日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

吉田 光範(よしだ みつのり、1962年3月8日 - )は、愛知県刈谷市出身の元サッカー選手、サッカー指導者・サッカー解説者。ポジションはMFFW

経歴

刈谷市立衣浦小学校、刈谷市立刈谷南中学校[1]愛知県立刈谷工業高校卒業[2]。小学2年生の時に体育の授業で初めてサッカーボールに触れ、小学4年生の時に刈谷サッカースクールに入団した[2]。中学校時代の1976年には刈谷サッカースクールの代表選手としてアメリカに遠征している[2]。高校卒業後、杉山隆一が監督を務める日本サッカーリーグ(JSL)のヤマハ発動機サッカー部に入団[3]。1981年シーズンは10位で2部降格となったが、ハンス・オフトが監督に就任した1982年シーズンには2部で優勝して1部昇格[4]。1983年には天皇杯で優勝し、1987年にはJSLで優勝した。日本代表やジュビロ磐田での職人的な守備的MFとしての印象が強いが、選手経歴の中盤まではセンターフォワードとしてプレーしていた。1982年の天皇杯決勝、フジタ工業戦では延長前半4分にボレーシュートで決勝ゴールを決め、同サッカー部に初タイトルをもたらした。

22歳だった1985年、神戸で開催されたFCジロンダン・ボルドー(フランス)との試合で日本代表デビュー[5]。相手チームにはジャン・ティガナなどがおり、味方には木村和司金田喜稔加藤久などがいた[5]。現役時代はサッカー日本代表として3度のFIFAワールドカップ予選に参加(1986年W杯予選1990年W杯予選1994年W杯予選)。1993年にカタール・ドーハで行なわれた最終予選ではチームメイトの中山雅史と共にJリーガー以外でのメンバー入りを果たし、韓国戦では左サイドからのクロスで三浦知良の決勝ゴールをアシストして勝利に貢献した。イラク戦(ドーハの悲劇)にもフル出場している。

現役引退後には磐田U-18の監督を務め、2009年には高円宮杯準優勝をおさめた。2021年7月8日、FC刈谷のテクニカルディレクターに就任した[6]

所属クラブ

個人成績

クラブ

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1980 ヤマハ 29 JSL1部 1 0 0 0
1981 15 9 1 0 0 1 0 10 1
1982 JSL2部 14 9 3 2 5 1 22 12
1983 JSL1部 16 2 1 0 2 1 19 3
1984 18 7 1 0 3 1 22 8
1985 21 3 1 0 3 0 25 3
1986-87 12 1 1 0 3 0 16 1
1987-88 22 3 2 2 1 0 25 5
1988-89 21 3 2 0 4 2 27 5
1989-90 22 4 5 1 5 1 32 6
1990-91 12 0 0 0
1991-92 21 3 1 0 2 2 24 5
1992 旧JFL1部 12 1 - 2 0 14 1
1993 16 0 0 0 1 0 17 0
1994 磐田 - J 34 0 1 0 0 0 35 0
1995 24 0 - 0 0 24 0
通算 日本 J 58 0 1 0 0 0 59 0
日本 JSL1部 175 27 14 3
日本 JSL2部 14 9 3 2 5 1 22 12
日本 旧JFL1部 28 1 0 0 3 0 31 1
総通算 275 35 18 5

JSL東西対抗戦 1回出場(1983年)


その他の公式戦

代表歴

試合数

  • 国際Aマッチ 35試合 2得点(1988-1993)


日本代表 国際Aマッチ その他 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点
1985 0 0 3 0 3 0
1986 0 0 0 0 0 0
1987 0 0 0 0 0 0
1988 1 0 4 1 5 1
1989 10 1 9 5 19 6
1990 0 0 0 0 0 0
1991 0 0 0 0 0 0
1992 8 0 3 1 11 1
1993 16 1 5 0 21 1
通算 35 2 24 7 59 9

出場

No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1988年06月02日 愛知県 名古屋市瑞穂公園陸上競技場  中華人民共和国 ●0-3 横山謙三 キリンカップ
2. 1989年01月20日 テヘラン  イラン △2-2 国際親善試合
3. 1989年05月10日 東京都 国立西が丘サッカー場  中華人民共和国 △2-2 国際親善試合
4. 1989年05月13日 岡山県 岡山県総合グラウンド陸上競技場  中華人民共和国 ○2-0 国際親善試合
5. 1989年05月22日 香港  香港 △0-0 ワールドカップ予選
6. 1989年05月28日 インドネシア  インドネシア △0-0 ワールドカップ予選
7. 1989年06月04日 東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  北朝鮮 ○2-1 ワールドカップ予選
8. 1989年06月11日 東京都 国立西が丘サッカー場  インドネシア ○5-0 ワールドカップ予選
9. 1989年06月18日 愛知県 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場  香港 △0-0 ワールドカップ予選
10. 1989年06月25日 平壌  北朝鮮 ●0-2 ワールドカップ予選
11. 1989年07月23日 リオデジャネイロ  ブラジル ●0-1 国際親善試合
12. 1992年06月07日 愛媛県 愛媛県総合運動公園陸上競技場  ウェールズ ●0-1 ハンス・オフト キリンカップ
13. 1992年08月22日 北京  韓国 △0-0 ダイナスティカップ
14. 1992年08月24日 北京  中華人民共和国 ○2-0 ダイナスティカップ
15. 1992年08月26日 北京  北朝鮮 ○4-1 ダイナスティカップ
16. 1992年08月29日 北京  韓国 △2-2(PK4-2) ダイナスティカップ
17. 1992年10月30日 広島県 広島県立びんご運動公園陸上競技場  アラブ首長国連邦 △0-0 アジアカップ
18. 1992年11月03日 広島県 広島広域公園陸上競技場  イラン ○1-0 アジアカップ
19. 1992年11月08日 広島県 広島広域公園陸上競技場  サウジアラビア ○1-0 アジアカップ
20. 1993年03月07日 福岡県 東平尾公園博多の森陸上競技場  ハンガリー ●0-1 キリンカップ
21. 1993年03月14日 東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  アメリカ合衆国 ○3-1 キリンカップ
22. 1993年04月08日 愛知県 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場  タイ ○1-0 ワールドカップ予選
23. 1993年04月11日 東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  バングラデシュ ○8-0 ワールドカップ予選
24. 1993年04月15日 東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  スリランカ ○5-0 ワールドカップ予選
25. 1993年04月18日 東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  アラブ首長国連邦 ○2-0 ワールドカップ予選
26. 1993年04月28日 ドバイ  タイ ○1-0 ワールドカップ予選
27. 1993年04月30日 ドバイ  バングラデシュ ○4-1 ワールドカップ予選
28. 1993年05月05日 ドバイ  スリランカ ○6-0 ワールドカップ予選
29. 1993年05月07日 アル・アイン  アラブ首長国連邦 △1-1 ワールドカップ予選
30. 1993年10月04日 東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  コートジボワール ○1-0(延長) アフロ・アジア選手権
31. 1993年10月15日 ドーハ  サウジアラビア △0-0 ワールドカップ予選
32. 1993年10月18日 ドーハ  イラン ●1-2 ワールドカップ予選
33. 1993年10月21日 ドーハ  北朝鮮 ○3-0 ワールドカップ予選
34. 1993年10月25日 ドーハ  韓国 ○1-0 ワールドカップ予選
35. 1993年10月28日 ドーハ  イラク △2-2 ワールドカップ予選

得点数

# 開催日 開催地 会場 相手 結果 大会
1 1989年05月13日 岡山県 岡山県総合グラウンド陸上競技場  中華人民共和国 ○2-0 国際親善試合
2 1993年04月30日 ドバイ  バングラデシュ ○4-1 ワールドカップ予選

指導歴

  • 2001年 - 2009年 ジュビロ磐田
    • 2001年 ジュニアユース監督
    • 2003年 トップチームゲームスカウティング
    • 2003年 トップチームヘッドコーチ
    • 2004年 ユースコーチ
    • 2007-2009年 ユース監督
  • 2010年 静岡産業大学サッカー部サポート、愛知県立刈谷北高校サポートなど
  • 2011年 静岡産業大学サッカー部コーチ、愛知大学サッカー部コーチ、刈谷北高校サポートなど
  • 2018年 - FC刈谷Al-futuroレディース監督
  • 2021年7月 - FC刈谷 テクニカルディレクター

獲得タイトル

脚注

  1. ^ 刈谷の星 刈谷市
  2. ^ a b c 愛知県サッカー協会75年史編集委員会 (2002)、9頁
  3. ^ 愛知県サッカー協会75年史編集委員会 (2002)、15頁
  4. ^ 愛知県サッカー協会75年史編集委員会 (2002)、17頁
  5. ^ a b 愛知県サッカー協会75年史編集委員会 (2002)、18-19頁
  6. ^ 吉田光範氏テクニカルディレクター就任のお知らせ』(プレスリリース)2021年7月8日https://fckariya.jp/news/press-release/6663.html2021年10月10日閲覧 

参考文献

  • 愛知県サッカー協会75年史編集委員会『愛知県サッカー協会75年史』愛知県サッカー協会、2002年

関連項目

外部リンク


吉田光範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 12:55 UTC 版)

刈谷市のスポーツ」の記事における「吉田光範」の解説

刈谷市出身サッカー選手サッカー指導者愛知県立刈谷工業高校経てヤマハ発動機サッカー部/ジュビロ磐田プレーした日本代表として35試合出場しており、1994 FIFAワールドカップ・アジア予選イラク代表戦ドーハの悲劇)を経験した

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