デビューのころとは? わかりやすく解説

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デビューのころ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 06:37 UTC 版)

内田高子」の記事における「デビューのころ」の解説

1942年昭和17年8月22日千葉県銚子市生まれる。ウェブ上にみる誕生年には諸説あり、Yahoo!映画では「1940年」(昭和15年)、DrillSpin等では「1943年」(昭和18年)とされているが、『日本映画俳優全集女優編』(キネマ旬報社)や『芸能人物事明治大正昭和』(日外アソシエーツ)、およびKINENOTEでは「1942年」(昭和17年)としている。 1961年昭和36年3月銚子市立銚子高等学校卒業し建設会社入社する。満20歳になる1962年昭和37年)、イタリア・フランス合作映画セクシーの夜』(監督エットーレ・フェッキ(イタリア語版))を東和配給公開するにあたり同作キャンペーンとして「ネグリジェ・コンテスト」を開催、これに応募して一位獲得する同作同年12月23日公開され、翌1963年昭和38年)には東芝音楽工業(のちのEMIミュージック・ジャパン、現在吸収されユニバーサルミュージック合同会社)に入社同年8月発売されたシングル粋なネグリジェ』(作詞松井由利夫作曲上條たけし、編曲安形和巳)で歌手としてデビューした。同作松井歌詞過激とされ、放送禁止みなされヒットはしなかった。 『日本映画俳優全集女優編』および『芸能人物事明治大正昭和』には、1964年昭和39年)、新藤孝衛が自らの監督作セクシー東京'64』の主役に抜擢され、映画界デビューした旨の記述があるが、その前年歌手デビューの年、シングル発売直後である1963年9月18日放映され連続テレビ映画特別機動捜査隊』第99回『大いなる代償』(監督石川義寛)に、すでにゲスト出演している。『セクシー東京'64』はさらに遅れて1965年昭和40年3月、『肉体ドライブ』と改題され、成人映画として劇場公開された。「主演デビュー作」が製作され公開されるまでの間に、1965年初頭放映され大島渚連続テレビ映画アジアの曙第7話・第8話出演したほか、前年末にすでに完成していた大蔵映画製作・配給した成人映画『雌 めす 牝』(監督小川欽也)、東映京都撮影所製作の時代劇映画忍法忠臣蔵』(監督長谷川安人1965年2月25日公開)に出演それぞれ公開されている。なかでも『雌 めす 牝』は、大蔵映画初め本格的にいわゆるピンク映画」に取り組むべく300万円低予算製作した作品であったが、同社配給する一般映画洋画含めて当時最大ヒット記録した大蔵映画同年4月いわゆるピンク映画」の興行網「オーピーチェーン」を提唱したのは、同作ヒット受けて政策であった大蔵映画は、同年同月内田主役に『黒・白・黒?』(監督小川欽也)を公開、翌5月には新東宝映画柳家小せん石松内田相手役起用して好色森の石松』(監督大貫正義)を発表内田は「かくれたドル箱スター」と呼ばれる存在になっていった。 のちに夫となる向井寛との出会いもこの時期であり、今井正佐伯清師事し教育映画二人少年』(1962年)で監督昇進した向井は、同年東京芸術プロダクション現在の向井プロダクション)を設立して独立、その第1作として『肉』を製作・監督、主演女優内田起用同作国映配給し同年5月公開された。同作撮影中、向井から「君の売り物脇毛なのだから剃るんじゃないぞ」と言われたことで、脇毛セールスポイントとなった以降脇毛女優”としてピンク映画一時代を築くことになる。同年6月9日日活配給し公開され武智鉄二監督の『黒い雪』は、わいせつ図画であるとして武智日活配給部長起訴されたが、同作出演していた内田は、紅千登世松井康子村田知栄子とともに警視庁へ出頭求められている。この黒い雪事件1969年昭和44年9月17日東京高等裁判所無罪確定したが、新映倫映画倫理管理委員会現在の映画倫理委員会)を通過した劇場用映画刑事罰問われ事件として知られる。 「黒い雪事件」を参照 前年の『雌 めす 牝』では「内田高子東芝レコード)」とクレジットされていた内田は、同年には東芝離れ、岡雅美の岡プロダクション所属同社専務取締役務めた中島貞夫倉本聰脚本執筆し同年10月1日放映開始した連続テレビ映画勝海舟』(製作毎日放送)、国際放映製作しフジテレビジョン同年10月5日放映した連続テレビ映画刑事』の第1回五社英雄監督作にも、内田それぞれ出演ジャンル超えた活動行った。 『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期成人映画界のおもな出演者として、扇町京子桂子城山路子光岡早苗同一人物)、香取環新高恵子松井康子西朱実朝日陽子火鳥こずえ明子森美沙湯川美沙光岡早苗路加奈子有川二郎里見孝二、川部修詩佐伯秀男とともに内田の名を挙げている。

※この「デビューのころ」の解説は、「内田高子」の解説の一部です。
「デビューのころ」を含む「内田高子」の記事については、「内田高子」の概要を参照ください。

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