デビューのころ
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1942年(昭和17年)8月22日、千葉県銚子市に生まれる。ウェブ上にみる誕生年には諸説あり、Yahoo!映画では「1940年」(昭和15年)、DrillSpin等では「1943年」(昭和18年)とされているが、『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社)や『芸能人物事典 明治大正昭和』(日外アソシエーツ)、およびKINENOTEでは「1942年」(昭和17年)としている。 1961年(昭和36年)3月、銚子市立銚子高等学校を卒業し、建設会社に入社する。満20歳になる1962年(昭和37年)、イタリア・フランス合作映画『セクシーの夜』(監督エットーレ・フェッキ(イタリア語版))を東和が配給・公開するにあたり、同作のキャンペーンとして「ネグリジェ・コンテスト」を開催、これに応募して一位を獲得する。同作は同年12月23日に公開され、翌1963年(昭和38年)には東芝音楽工業(のちのEMIミュージック・ジャパン、現在吸収されてユニバーサルミュージック合同会社)に入社、同年8月に発売されたシングル『粋なネグリジェ』(作詞松井由利夫、作曲上條たけし、編曲安形和巳)で歌手としてデビューした。同作は松井の歌詞が過激とされ、放送禁止とみなされてヒットはしなかった。 『日本映画俳優全集・女優編』および『芸能人物事典 明治大正昭和』には、1964年(昭和39年)、新藤孝衛が自らの監督作『セクシー東京'64』の主役に抜擢され、映画界にデビューした旨の記述があるが、その前年の歌手デビューの年、シングル発売の直後である1963年9月18日に放映された連続テレビ映画『特別機動捜査隊』第99回『大いなる代償』(監督石川義寛)に、すでにゲスト出演している。『セクシー東京'64』はさらに遅れて、1965年(昭和40年)3月、『肉体のドライブ』と改題され、成人映画として劇場公開された。「主演デビュー作」が製作されて公開されるまでの間に、1965年初頭に放映された大島渚の連続テレビ映画『アジアの曙』第7話・第8話に出演したほか、前年末にすでに完成していた大蔵映画が製作・配給した成人映画『雌 めす 牝』(監督小川欽也)、東映京都撮影所製作の時代劇映画『忍法忠臣蔵』(監督長谷川安人、1965年2月25日公開)に出演、それぞれ公開されている。なかでも『雌 めす 牝』は、大蔵映画が初めて本格的にいわゆる「ピンク映画」に取り組むべく300万円の低予算で製作した作品であったが、同社が配給する一般映画や洋画を含めて、当時最大のヒットを記録した。大蔵映画が同年4月にいわゆる「ピンク映画」の興行網「オーピーチェーン」を提唱したのは、同作のヒットを受けての政策であった。大蔵映画は、同年同月、内田を主役に『黒・白・黒?』(監督小川欽也)を公開、翌5月には新東宝映画も柳家小せんを石松、内田を相手役に起用して『好色森の石松』(監督大貫正義)を発表、内田は「かくれたドル箱スター」と呼ばれる存在になっていった。 のちに夫となる向井寛との出会いもこの時期であり、今井正、佐伯清に師事し教育映画『二人の少年』(1962年)で監督に昇進した向井は、同年、東京芸術プロダクション(現在の向井プロダクション)を設立して独立、その第1作として『肉』を製作・監督、主演女優に内田を起用、同作は国映が配給して同年5月に公開された。同作の撮影中、向井から「君の売り物は脇毛なのだから剃るんじゃないぞ」と言われたことで、脇毛がセールスポイントとなった。以降“脇毛女優”としてピンク映画で一時代を築くことになる。同年6月9日に日活が配給して公開された武智鉄二監督の『黒い雪』は、わいせつ図画であるとして武智と日活の配給部長が起訴されたが、同作に出演していた内田は、紅千登世、松井康子、村田知栄子らとともに警視庁への出頭を求められている。この黒い雪事件は1969年(昭和44年)9月17日、東京高等裁判所で無罪が確定したが、新映倫(映画倫理管理委員会、現在の映画倫理委員会)を通過した劇場用映画が刑事罰に問われた事件として知られる。 「黒い雪事件」を参照 前年の『雌 めす 牝』では「内田高子(東芝レコード)」とクレジットされていた内田は、同年には東芝を離れ、岡雅美の岡プロダクションに所属、同社の専務取締役を務めた。中島貞夫や倉本聰が脚本を執筆し同年10月1日に放映を開始した連続テレビ映画『勝海舟』(製作毎日放送)、国際放映が製作しフジテレビジョンが同年10月5日に放映した連続テレビ映画『刑事』の第1回、五社英雄監督作にも、内田はそれぞれ出演、ジャンルを超えた活動を行った。 『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子、橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、香取環、新高恵子、松井康子、西朱実、朝日陽子、火鳥こずえ、華村明子、森美沙、湯川美沙、光岡早苗、路加奈子、有川二郎、里見孝二、川部修詩、佐伯秀男とともに、内田の名を挙げている。
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