ディーヴ川・ディヴェット川の橋梁破壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 02:51 UTC 版)
「トンガ作戦」の記事における「ディーヴ川・ディヴェット川の橋梁破壊」の解説
ディーヴ川とディヴェット川の後方に位置するドイツ軍部隊が、イギリス軍・カナダ軍空挺部隊とソード・ビーチ上陸部隊に対して、組織的な反攻を行うことが予想された。このため、カナダ軍第1空挺大隊と、イギリス軍第8空挺大隊には、この二つの川に架かる橋を爆破する使命が課せられた。 爆破の後、ランヴィルから南東へ約5kmの地点にあるバヴァンの森経由で、二つの小さな町、ランヴィルから南東へ約3kmのル・メニルと、ランヴィルから北東へ約3kmのル・プレインに戦線を拡大することも命令されていた。
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ディーヴ川・ディヴェット川の橋梁破壊
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「トンガ作戦」の記事における「ディーヴ川・ディヴェット川の橋梁破壊」の解説
橋梁の破壊は、イギリス軍第3空挺工兵小隊に任せられ、カナダ軍第1空挺師団が援護することとなった。カナダ軍第1空挺師団の兵士は、着地した後すぐにいくつかの使命を達成しなければならなかった。 A中隊はメルヴィル陣地の制圧作戦において、第9空挺大隊の側面を助攻する必要があった。しかしながら、そのためには着陸のすぐあとにゴネヴィル・シュル・メルヴィルを通らなければならなかった。到着した時、ちょうどイギリス空軍が爆撃を行うところであったため、できるだけ早く隠れる場所を探さなければならなかった。その直後に、城郭に詰めていたドイツ軍の小部隊から銃撃を受けた。いったんこの部隊を制圧してから、メルヴィル陣地の側面を攻撃するために移動を開始した。A中隊は結果として第9大隊を助攻し、休息ののち、ル・メニルまで移動した。 B中隊は第3空挺旅団から随伴兵として工兵小隊を割り当てられ、ロベオムの近くの橋を爆破する使命を受けていた。4つの目標地点のうち3つは3.2kmほど離れており、ドイツ兵が多く散在し、かつ湿地帯であったため、小規模な戦闘が発生した。3個小隊のうち2個小隊は湿地帯に着陸し、第3小隊はそのために多くの武器と装備品を廃棄せざるをえなくなったが、抜け出すことができた者は集結地点を目指した。不運な何名かは溺死した。第3空挺旅団と、その内の第8空挺大隊の部隊員は、最大で約11km離れた地点に降下した。トスランド中尉が5名の工兵を率いて降下し、集合地点までの間で会った女性フランス人レジスタンスに、橋まで案内された。橋においては、フラー少佐がB中隊の指揮を執った。しかしながら、爆破に必要な爆薬はまだ到着していなかった。一人の軍曹が、空挺降下部隊員が持参していた対戦車爆弾ギャモンから爆発性物質13kgを取り出し、その場で爆発物を作って橋を爆破しようとした。結果、崩落はしなかったものの、明らかに破損は与えることができた。6時頃、他の兵とともに集合途上で落ち合った工兵が、爆発物をともなって到着した。集まった90kgの爆薬は、橋を破壊するのに十分であった。 C中隊はフランスに降下した最初のカナダ人達であった。彼らは斥候とともに本隊降下の1時間半前、正確に降下目標地点DZ-Vに降下する必要があった。その理由は、ドイツ軍の司令部を攻撃するため、および、ヴァラヴィルの村の背後に集結し、橋の攻撃に移るためであった。ディベット川に架かる橋を爆破することが使命であるが、これを実施することでこの地域を占領することが容易となる。 マッデン中尉とその部下は、パイロットがディヴェット川とオルヌ川を見間違えたため、遠く広い地域に散在してしまった。彼らはソード・ビーチから1.6kmほどの地点に降下した。マクラウド少佐は結局10分間に部下15名を発見した。ヴァラヴィルに移動する途中で、彼らは信号を正確に送信した。このためイギリス空軍機はメルヴィル陣地を正確に爆撃することができた。しかし、若干の機は間違えてDZ-V地点付近に爆撃を行ってしまい、待機中の兵に混乱をもたらした。 マクラウド少佐は敵の警戒を招かないように、はぐれた他の部隊の兵を集めながら、目標地点を目指した。彼らが攻撃を準備していた際、敵の75mm砲を発見し、そちらへ向かった。射撃弾が弾薬箱に当たり、敵兵数名が死亡した。その際、マクラウド少佐は重傷を負った。この戦闘は10時頃まで続いた。結果ドイツ軍の駐屯部隊46名が射殺された。1時には、バイル中尉と部下の工兵が橋の爆破に成功した。 第8空挺大隊は予定よりも約11km西に降下しており、他の降下部隊と集結するために大きな困難を伴った。彼らはダコタ輸送機から空挺降下したが、1個のユーレカの設置場所が誤っていたために、14名が目標地点でない場所に降下した。彼らはAZ-K地点の偵察隊と合流し、6.5km北のAZ-N地点で残りの空挺部隊員37名と合流した。 3時30分には、141名が目標地点に到達していた。アラステア・スティーブンソン中佐は、この兵力をトロアルンに移動させた。彼は、道に2門の対戦車砲を設置し、西からの敵車両に備えさせた。この部隊は、数時間後に第21機甲師団の戦車6輌を撃破した。第8空挺大隊はトロアルン攻略には兵員不足で、小さい町から1.6kmほど北のバヴァンの森で持ちこたえた。第3空挺小隊の少人数が、ビュールの近くの2つの橋(道路橋と鉄道橋)を破壊するためにコマンド攻撃を実行に移し、9時15分頃に破壊に成功した。 第3空挺中隊長ジョン・コーチ・アダムス・ローゼヴェアーレ少佐は、第8空挺大隊の状況を把握していなかったため、ジープを使いトロアルンへ向けて連絡を試みた。彼は小さい町経由で正確に走行したが、途中ドイツ軍の銃火を引きつけたため、何かあったに違いないと考えていた。カナダ兵は高速で走行するジープから応戦したが、一人が妨害を受けた。急カーブを曲がった際にピーチー軍曹が車から投げ出され、すぐにドイツ軍に拘束された。ローゼヴェアーレ少佐は橋の手前の小さな町に到着した。彼らは輸送してきた爆発物を橋に設置し、5時頃、橋の中央に6m以上の穴を開けることに成功した。 第8空挺大隊はトロアルン制圧のための人員が揃っておらず、攻撃が開始できずにいた。やがてA中隊の約半分の人員が、迫撃砲と機関銃を伴って到着した。ビュール攻略部隊も合流したので、ピアソンは彼らをまとめて混成部隊を編成した。第3空挺旅団はバヴァンの森の南を防御地点とした。これら二つの部隊はドイツ軍から2度の発砲を受けたが、短時間のうちにこれを制圧し、一部を捕虜とした。混成部隊の一部が橋に向かったが、すでにローゼヴェアーレによって破壊されたものと確認したにも関わらず、この橋を確実に使用不能とするために、さらに爆破を加えた。
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