ソナーと対潜前投兵器の普及 (第二次世界大戦)
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「対潜戦」の記事における「ソナーと対潜前投兵器の普及 (第二次世界大戦)」の解説
先の大戦で手痛い被害にあったイギリスだったが、その後は国内の軍縮ムードや財政難の影響で、対潜兵力の整備の進展は遅々たるものとなった。しかし技術開発は進められており、大戦中に開発を進めていたASDIC(アクティブ・ソナー)については、上記のとおり1920年に実用化され、装甲巡洋艦「アントリム」に搭載されて実験が行われた。1926年には潜水艦、1928年には駆逐艦への装備が開始されている。また大戦直前の1939年計画より、対潜プラットフォームとしてハント級駆逐艦の建造も開始された。 しかし1939年に第二次世界大戦が勃発すると、イギリス海軍自慢のASDIC装備の護衛艦による護送船団戦術は、ドイツUボートの群狼作戦により危機にさらされることとなった。これは、Uボートを3 - 20隻程度の集団で作戦海域に展開させておく。その内の一隻が敵船団を発見すると、すぐには攻撃を掛けず僚艦に位置情報を連絡し、船団の追尾を続ける。そして夜間になると全艦で一斉波状攻撃をかける戦術で、大きな効果を上げた。潜水艦隊は全て本国司令部のカール・デーニッツの指揮で動いていた。米海軍も日本への通商破壊戦で採用した。 一方、連合軍はこれに対抗すべく、数々の新兵器を投入した。 曳航ノイズメーカー Uボートの誘導魚雷の命中率を低下させる事に成功。 対潜哨戒機 PBY カタリナ、PB4Y-2 プライバティア、ショート サンダーランドと言った長距離哨戒機や飛行船などでの哨戒。水上艦での哨戒に比べ、航空機での哨戒は安全で効果が高かった。 護衛空母 船団に護衛空母を伴随させる事で、より船団に密着した航空対潜哨戒が可能。 暗号解読 ドイツ軍が使用していたエニグマの解読により、Uボートの作戦行動を察知。 レーダー 浮上航行時の探知確率が高まったことから、Uボートの浮上航行を大幅に制限する事に成功した。 電波方向探知機 短波方向探知機(HF/DF)などが代表的。Uボートが通信で使う電波を逆探知して位置を割り出した。位置が分かると護衛艦がそこに急行してUボートを攻撃した。 対潜迫撃砲 ヘッジホッグ、スキッドなどが代表的。通常型爆雷と比べ、深度設定の必要が無く、また射撃直前にソナーから目標を失探することもない。 対潜魚雷 パッシブ・ホーミング式の誘導魚雷Mk.24などの投入により、敵潜水艦へのより効果的な攻撃が可能となった。 また、初めて数理学的分析も導入された。イギリス軍では、既にバトル・オブ・ブリテンにおいてパトリック・ブラケット博士を始めとする数学者たちがオペレーションズ・リサーチを活用していたが、ブラケット博士は海軍士官候補生として第一次世界大戦に従軍していたこともあり、対潜戦への応用にも積極的であった。アメリカ海軍においても、1942年、大西洋艦隊対潜部隊指揮官であったW.D.ベイカー大佐は、NDRCの支援下に、対潜戦オペレーションズ・リサーチ・グループ(ASW Operations Research Group, ASWORG)を編成した。編成時の人員は7名であったが、1943年7月には44名に増強されて第10艦隊隷下に編入、更に1944年10月には対潜戦以外の分野にも支援を提供するため、合衆国艦隊司令長官の直率下に移動されてORG(Operations Research Group)と改称された。 第二次大戦での大西洋の戦いでは、最終的に連合軍は3,000隻、1,600万トンの貨客船を、ドイツ海軍は700隻余りのUボートを失った。
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