ジョン・ロックの寛容論とは? わかりやすく解説

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ジョン・ロックの寛容論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/01 23:10 UTC 版)

寛容」の記事における「ジョン・ロックの寛容論」の解説

ジョン・ロックの寛容論の主眼は、聖俗分離させること、とりわけ為政者信仰問題干渉しないようにさせることであった彼の後年の作品寛容についての書簡』A letter concerning toleration. (1685)では、主に3つの原理掲げられている。 第一にキリスト教会および信徒は、人類愛見地から、他人迫害する権利持たないいかなる私人も、教会宗教の違い理由として、他人社会的権利享有をそこなう権利持ってはおりません。…(中略)…いや、われわれはたんなる正義という狭い限度満足することなく慈愛博愛寛大がそれに加えられねばなりません。 — ジョン・ロック寛容についての書簡第二に、人の認識範囲狭く、また誤り易いので、自分宗教的な意見正しく他人のそれが誤っているということについて、確実な知識持てない確かに国王は他の人々よりも権力という点では生まれながら上位あります。しかし、自然においては平等です。支配権利支配技術も、それ以外ことがら確実な知識を伴うものとは限りませんし、ましてや真の宗教知識を伴うものではさらさらないのです。 — ジョン・ロック寛容についての書簡第三に、暴力という強制によって人々救済することはできない。 さらにまた、これら二つ意見異にする教会いずれか正しいことが明らかであったとしても、だからと言って、その正しいほうが他方教会破壊する権利生じことはなでしょう。なぜなら、教会世俗ことがらに関していかなる支配権をも持つものではなく人々の心に誤り納得させ、真理教えるのに、火や剣は決し適切な道具ではないからです。 — ジョン・ロック寛容についての書簡このようなロックの寛容論通奏低音は、可謬的な人間という人間像である。

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ジョン・ロックの寛容論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 18:41 UTC 版)

アメリカ合衆国における政教分離の歴史」の記事における「ジョン・ロックの寛容論」の解説

ジョン・ロックは「寛容論」(1667年)や「寛容書簡」(1689年)で政教分離論じた王政復古時代1666年シャフツベリ伯アントニー・アシュリー=クーパー出会ったロックは、翌年ロンドンシャフツベリ伯邸に居を移し、『寛容論』を執筆したロック統治者政治権力世俗的な事柄限定し、「統治者ただ人々を、他者によって侵害危害を被ることが護るだけなのだ(これが完全な寛容である)」と主張し、また立法者は道徳上の徳性悪徳はまったく関係がない、と論じた。さらに、「統治社会には全く関係がない」ような思弁意見や、神への礼拝は、絶対的な寛容への権利を持つと論じた1682年シャフツベリ伯王位排斥問題失脚してオランダに亡命ロックシャフツベリ伯追って翌年オランダに亡命したシャフツベリ伯同年死去したが、ロックオランダに1689年まで住み神学者リンボルクと交流し、「寛容に関する書簡」を執筆したロックは、自己の信仰教義防衛義務主張するコンフェッショナリズム立場克服し信条対立政治的闘争となるコンフェッショナリズム原因を「教会国家との一致」に見て、「教会と国家の分離」すなわち政教分離主張し政治秩序安定図ったロックによれば国家世俗的善の保全目的とするのに対して教会は「神をおおやけに礼拝するため、人々自発的に結びついている自由な集まり」であり、教会は「国家からも世俗事柄からも全く区別され切り離されて」いる、とした。 ただし山岡龍一によればロック政治宗教分離という意味での政教分離主張しておらず、また国教会制度そのもの批判してもいないし、すべての宗教に対して中立なのでもないロックユダヤ国家テオクラシー神権政治)として建設されたが、「福音のもとでは、キリスト教国家respublica Christiana)というものは絶対にありえない」と寛容書簡述べている。 またロックは「宗教的集会において、公共平和に反するようなことが行われるならば、それは定期市起こったときと同様に、しかも寸分たがわぬ仕方阻止されるべきです」として、「謀反人殺人者刺客盗人強盗姦夫中傷者、誹謗者」はどんな教会属していようと処罰されるべきであるとした。そして、「異教徒でも、マホメット教徒でもユダヤ人でも、宗教のため国を追われるきでない」とした。 他方ロックカトリック教徒寛容対象から除外してカトリック教徒教皇無謬性盲信しており、非カトリック教徒との約束不履行正当化しているので、市民社会メンバー適さないとも主張した

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