政治的闘争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/02 17:14 UTC 版)
南北戦争はアイオワ州に少なからぬ変化をもたらしたが、恐らく最も目に見える変化は政治的闘争の場であった。1840年代、アイオワの人々は民主党に投票していたが、ホイッグ党支持者もいた。しかし1850年代、州の民主党は幾つかの重大な内部問題を抱え、全国の民主党もその必要性に応えることができなかった。アイオワの人々は直ぐに新しく興った共和党を支持するようになった。新しい党は奴隷制に反対し、土地の所有、金融および鉄道を促進した。ジェイムズ・グリムズの政歴はこの変化を表している。1854年、アイオワの人々はグリムズをホイッグ党公認として知事に選出した。2年後、グリムズは共和党公認で再選された。グリムズは後に共和党のアイオワ州選出アメリカ合衆国上院議員になった。共和党は1850年代の州政界を支配し、直ぐに幾つかの変化を起こした。州都をアイオワシティからデモインに移し、アイオワ大学を設立し新しい州憲法を定めた。南北戦争中、多くの民主党員は反戦のカパーヘッド運動を支持した。 1850年代から20世紀に入るまで、アイオワの人々は大半が共和党支持のままであった。1889年に1度だけ、民主党のホレイス・ボーイーズが知事に選ばれ1891年にも再選された。歴史的に民主党は特にミシシッピ川に沿ったドイツ人地域で強かった。ドイツ人カトリック教徒の多いドゥビューク市は民主党の強い基盤であり続けた。一方ヤンキーやスカンディナヴィア人(またクエーカー教徒)は圧倒的に共和党支持だった。 幾人かの共和党員はワシントンでも指導的な立場となり、特にウィリアム・ボイド・アリソン、ジョナサン・P・ドリバーおよびアルバート・ベアード・カミンズ各上院議員、さらに下院議長のデイビッド・ヘンダーソンは著名だった。 女性たちは女性参政権をアイオワの検討課題に載せ、特に女性キリスト教徒禁酒同盟の動きが目立った。1860年代後半と1870年代に一般にあった改革気運を保つ中で、この問題は1870年の連邦議会両院が女性参政権に関する憲法修正条項を可決したときに初めて重要な検討が行われた。しかし2年後、議会で一般投票に送る前にその修正条項を再度検討しなければならなかった時に、興味が凋み、反対が拡がって、修正提案は敗れた。最終的に1920年になって、アイオワ州は合衆国の他の州と共に女性参政権を認めた。
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