ジオラマ劇場とは? わかりやすく解説

ジオラマ劇場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 21:47 UTC 版)

ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール」の記事における「ジオラマ劇場」の解説

1821年春、ダゲールはチャールズ・ブートンと提携しジオラマ劇場の開発始めたダゲールは、照明風光明媚な効果生み出すための専門知識持っており、ブートン画家としてダゲールより経験豊富だった。しかしブートン最終的に撤退しダゲールはジオラマ劇場の単独責任者としての権利得た最初のジオラマ劇場は、パリにあったダゲールスタジオ隣接して建てられ1822年7月11日オープンした二つ劇場場面備えた形式で、一つダゲールよるものもう一つブートンよるものだった。また、一方室内表現し他方風景表現したのだった考えられている。ダゲールは、観客のためにリアルなイリュージョン作り出そうとした。そして単に観客楽しませるだけでなく、畏敬の念を抱かせようとした。 ジオラマ劇場は壮大な規模だった。巨大な半透明キャンバス(幅約20m、高さ14m)の両面に絵が描かれた。これらは生き生きとした細密画で、異な角度から照明当てられた。そして照明変化と共に場面変化した観客画面の裏側にある絵画を見ることとなった効果畏敬の念を抱かせた。「場面印象変化人びともたらす気分変化、そして様々な動きは、シャッタースクリーンシステムによって作り出された。それは描かれイメージそれぞれの部分を、背後から照明することが出来た。」(エスター・サルツァー) そのサイズのため画面固定式で、場面転換の際には観客席回転した観客席円筒形で、額縁状の開口部一つ設けられており、これを通して観客は「シーン」を観るようになっていた。観客数は約350だったと考えられる基本的に立ち見で、一部特別席用意された。21ジオラマ絵画最初8年の間に展示された。これらにはブートンによる「カンタベリー大聖堂のトリニティチャペル(英語版)」、「シャルトル大聖堂」、「ルーアン都市」、「パリ郊外」、ダゲールによる「ザルネンの谷」、「ブレストの港」、「ホリールード寺院」、「ロスリン礼拝堂英語版)」が含まれていた。 ロスリン礼拝堂英語版)はスコットランドエジンバラ郊外のロスリン15世紀建てられ現代では2003年ベストセラー小説2006年映画化された「ダヴィンチコード」の舞台として有名になった。しかし当時ロスリン礼拝堂大火災を含むいくつかの伝説知られていた。伝説では大聖堂に炎が出現しその威信破滅直前だったとされている。しかし後にそのような火事によるダメージは見ることができなくなっていた。一方で、この礼拝堂比類のない建築美しさ知られていた。 ダゲールロスリン礼拝堂両側面を理解していた。そしてこれらは彼のジオラマ絵画にとって最適主題となった礼拝堂まつわる伝説は、確実に大観衆を魅了しただろうと思われるパリ再現されロスリン礼拝堂内部は、1824年9月24日から1825年2月まで公開された。この場面ドアや窓から光が入ってくるように描かれた。窓には影も見ることができた。通過した光の筋は息を呑むようだったまた、光を弱めることで太陽の前を通過するシーン描写された。 それは「絵画の力を超えている。」 (Maggi)ように思われた。タイムズ紙展覧会記事載せ「完全なマジック」だと評したジオラマ人気新しメディアとなると共に、模倣者出現した利益20フラン達した推測される。これは2.5フラン入場料で8万人観客訪れた計算になる。繁栄頂点1820年代半ばだった。別のジオラマ劇場が、わずか4ヶ月建築期間を経て1823年9月ロンドンオープンしたジオラマ1930年代に入るまでの数年間に栄えた。そして必然的に劇場焼失したジオラマダゲール唯一の収入源だった。一見するとそれは悲劇的な出来事だった。しかし企業としてはもはや終焉近付いていた時期だった。このようにして作品としてのジオラマ失われたことは、保険支払われ金額考慮すれば、完全に悲惨だとは言えなかった。

※この「ジオラマ劇場」の解説は、「ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール」の解説の一部です。
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