キャリア中期
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1983-1984シーズン、セルティックスは62勝20敗で、リーグ最高の成績となった。シーズン平均24.2得点、6.6アシスト、10.1リバウンドを記録したバードはシーズンMVPに選ばれた。プレイオフでセルティックスはワシントン・ブレッツ、ニューヨーク・ニックス、バックスを下してNBAファイナルに進出した。一方ウエスタン・カンファレンスからはレイカーズが勝ち上がった。 大学時代のNCAA決勝で対戦していたラリー・バードとマジック・ジョンソンは、プロ入り以降それぞれイースタン・カンファレンスとウエスタン・カンファレンスの強豪で中心的な選手となっていたが、両者がNBAファイナルで争うのはこの時が初めてだった。メディアやファンのみならず、全米が注目する中で両ライバルは対決することになった。 ボストンで行われたシリーズの緒戦、レイカーズのカリーム・アブドゥル=ジャバーの活躍もあり、セルティックスは109対115で敗れた。続く第2戦ではジェームズ・ウォージーの活躍により終盤でレイカーズがリードを奪うが、セルティックスのジェラルド・ヘンダーソンのスティールにより試合は延長に入り、これをものにしたセルティックスがシリーズを1勝1敗のタイに持ち込んだ。ロサンゼルスに舞台を移した第3戦、マジック・ジョンソンがNBAファイナル記録となる21アシストをマークし、セルティックスは104対137で大敗を喫した。試合後、普段は言葉少ないバードがマスコミに対し「我々は腰抜けのようなプレイをした」「このチームにはハートがない。12人分の心臓移植をすべきだ」と自分とチームを強く批判した。第4戦で、バードの発言に鼓舞されたセルティックスは奮闘した。マクヘイルがレイカーズのカート・ランビスを転倒させたこと、バードとアブドゥル=ジャバーの接触などで乱闘寸前になるほど荒れた試合となったが、終盤にマジック・ジョンソンがミスを繰り返し、試合はシリーズ2度目の延長に突入した。セルティックスは延長を制し、シリーズは再びタイとなった。続く第5戦、熱波に襲われたボストンでの試合で、バードはフィールドゴールを20本中15本成功させ、34得点をマーク。セルティックスは3勝目を上げた。ロサンゼルスで行われた第6戦では、アブドゥル=ジャバーの活躍などでレイカーズが勝利。シリーズは3勝3敗のタイに持ち込まれた。 ボストンで行われた最終の第7戦では、セルティックスの各選手が活躍し、111対102でセルティックスが勝利。シリーズ平均27.4得点、14リバウンド、2スティールを記録したバードはファイナルMVPに選ばれた。 続く1984-85シーズン、セルティックスはリーグ最高の63勝19敗の成績で終え、バードは再びシーズンMVPに選ばれた。このシーズンのバードの平均28.7得点はリーグ2位、10.5リバウンドはリーグ8位、スリーポイントシュート成功率は42.7%でリーグ2位だった。シーズン中のアトランタ・ホークス戦では、生涯最高となる60点を記録した。一方、前シーズンの雪辱に燃えていたレイカーズはリーグ2位の62勝20敗の成績を残した。両チームはプレイオフを勝ち上がり、2年連続でNBAファイナルで対戦した。セルティックスは緒戦に大勝したものの、その後は一進一退の攻防となった。ボストンで行われた6試合目を100対111で落とし、4勝2敗でレイカーズの優勝が決まった。セルティックスがホームで優勝を奪われるのはチーム史上初めてのことだった。 翌1985-1986シーズン開幕前にセルティックスはかつてのMVPセンター、ビル・ウォルトンを獲得した。バード、ケヴィン・マクヘイル、ロバート・パリッシュに加え、セルティックスのフロントコートはさらに厚みを増した。シーズンに入るとセルティックスは快進撃を続け、人々はこのチームを史上最強と呼ぶようになった。シーズン成績は67勝15敗で、勝率は8割を超えた。ホーム戦の40勝1敗、勝率97.6%はNBA史上最高成績である。バード自身は平均得点25.8(リーグ4位)、フリースロー成功率89.6%(同1位)、平均スティール数2.02(9位)、平均リバウンド9.8(7位)、スリーポイントシュート成功率42.3%(4位)でスリーポイント成功数82本(1位)と多くのカテゴリーでリーグ上位に入った。シーズンが終了するとバードはシーズンMVPに選ばれた。3年連続でシーズンMVP獲得はビル・ラッセルとウィルト・チェンバレンに次いで史上3人目であり、センター以外の選手ではバードが初めてであった。セルティックスはプレイオフをNBAファイナルまで11勝1敗の成績で勝ち上がり、ロケッツと対戦した。6試合に渡ったファイナルで、バードはシリーズ平均24得点、9.5アシスト、9.7リバウンドとトリプル・ダブルに近い数字を残し、最終戦となった第6戦では、29得点、12アシスト、11リバウンドとトリプルダブルを記録した。4勝2敗でセルティックスはロケッツを下し、バードはファイナルMVPに選ばれた。 翌1986-1987シーズン、バードの平均得点はリーグ4位の28.1得点、アシストとリバウンドの平均はそれぞれ7本と9本を超える高い水準だった。フィールドゴールとフリースローの成功率はそれぞれ50%と90%を超えた。ビル・ウォルトンの出場試合数は怪我のため10試合にとどまり、チームは59勝23敗でリーグ2位だった。プレイオフの1回戦でセルティックスはブルズを3勝0敗で一掃したものの、続くカンファレンス・セミファイナルでは合計3回の延長を含めて7戦までもつれての際どい勝利となった。カンファレンス・ファイナルでは、成長著しいデトロイト・ピストンズと対戦した。ボストンで行われた最初の2戦ではセルティックスが勝利、デトロイトで行われた続く2戦はピストンズが勝ちを収め、2勝2敗のタイでシリーズ第5戦の舞台は再びボストンに移った。ピストンズが107対106とリードして試合終了まで残り数秒という時点でピストンズボールのスローインとなったが、アイザイア・トーマスのインバウンズパスをバードがインターセプトし、最後はデニス・ジョンソンがゴールを決めて土壇場で逆転を果たし、セルティックスの3勝2敗となった。このスティールは、1965年のジョン・ハブリチェック、1984年のジェラルド・ヘンダーソンのスティールとならび、ボストン・セルティックスの歴史上有名なスティールの一つとなった。続く2試合はそれぞれホームチームが勝利し、セルティックスがNBAファイナルに進出。4年間で3度目のレイカーズとの対戦となった。 NBAファイナルでは、ロサンゼルスで行われた最初の2戦をレイカーズが勝利。続くボストンでの3戦目をセルティックスが勝利した。第4戦の終盤、残り12秒の時点でバードのスリーポイントシュートによりセルティックスがリードを奪うが、コート外に出たボールをマジック・ジョンソンが中央に進め、フックシュートを放ち残り2秒でレイカーズが再逆転した。最後の瞬間にバードが放ったシュートはリングから落ち、シリーズはセルティックスの1勝3敗となった。続く第5戦はセルティックスが大勝したものの、ロサンゼルスに戻った第6戦をセルティックスは落とし、レイカーズの優勝が決まった。バードのセルティックスがNBAファイナルに進んだのはこの年が最後であり、バードとマジック・ジョンソンが優勝を争ったのはこれが最後となった。 なお、この年にオールスター期間に開催されるスリーポイントコンテスト (Long Distance Shootout) に優勝しており、1988年まで3連覇した。
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