キャリア中期とは? わかりやすく解説

キャリア中期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 09:58 UTC 版)

ラリー・バード」の記事における「キャリア中期」の解説

1983-1984シーズンセルティックス6220敗で、リーグ最高の成績となったシーズン平均24.2得点、6.6アシスト、10.1リバウンド記録したバードシーズンMVP選ばれた。プレイオフセルティックスワシントン・ブレッツニューヨーク・ニックスバックス下してNBAファイナル進出した一方ウエスタン・カンファレンスからはレイカーズ勝ち上がった大学時代NCAA決勝対戦していたラリー・バードマジック・ジョンソンは、プロ入り以降それぞれイースタン・カンファレンスウエスタン・カンファレンス強豪中心的な選手となっていたが、両者NBAファイナルで争うのはこの時が初めてだった。メディアファンのみならず全米注目する中で両ライバル対決することになったボストン行われたシリーズ緒戦レイカーズカリーム・アブドゥル=ジャバー活躍もあり、セルティックス109115敗れた。続く第2戦ではジェームズ・ウォージー活躍により終盤レイカーズリードを奪うが、セルティックスジェラルド・ヘンダーソンスティールにより試合延長入り、これをものにしたセルティックスシリーズを1勝1敗のタイ持ち込んだロサンゼルス舞台移した第3戦、マジック・ジョンソンNBAファイナル記録となる21アシストマークしセルティックス104137大敗喫した試合後、普段言葉少なバードマスコミ対し「我々は腰抜けのようなプレイをした」「このチームにはハートがない。12分の心臓移植をすべきだ」と自分とチーム強く批判した。第4戦で、バード発言鼓舞されセルティックス奮闘した。マクヘイルがレイカーズカート・ランビス転倒させたこと、バードアブドゥル=ジャバー接触などで乱闘寸前になるほど荒れた試合となったが、終盤マジック・ジョンソンミス繰り返し試合シリーズ2度目の延長突入したセルティックス延長制しシリーズは再びタイとなった。続く第5戦、熱波襲われボストンでの試合で、バードフィールドゴール20本中15成功させ、34得点マークセルティックス3勝目上げたロサンゼルス行われた第6戦では、アブドゥル=ジャバー活躍などでレイカーズ勝利シリーズは3勝3敗のタイ持ち込まれた。 ボストン行われた最終の第7戦では、セルティックスの各選手活躍し111102セルティックス勝利シリーズ平均27.4得点14リバウンド、2スティール記録したバードファイナルMVP選ばれた。 続く1984-85シーズンセルティックスリーグ最高の6319敗の成績終えバードは再びシーズンMVP選ばれた。このシーズンバード平均28.7得点リーグ2位、10.5リバウンドリーグ8位、スリーポイントシュート成功率は42.7%でリーグ2位だった。シーズン中アトランタ・ホークス戦では、生涯最高となる60点を記録した一方、前シーズン雪辱燃えていたレイカーズリーグ2位の6220敗の成績残した両チームプレイオフ勝ち上がり2年連続NBAファイナル対戦したセルティックス緒戦大勝したものの、その後一進一退の攻防となったボストン行われた6試合目を100111落とし、4勝2敗でレイカーズ優勝決まったセルティックスホーム優勝奪われるのはチーム史初めてのことだった。 翌1985-1986シーズン開幕前にセルティックスはかつてのMVPセンタービル・ウォルトン獲得したバード、ケヴィン・マクヘイル、ロバート・パリッシュ加えセルティックスのフロントコートはさらに厚みを増したシーズンに入るとセルティックス快進撃続け人々はこのチーム史上最強と呼ぶようになったシーズン成績6715敗で、勝率は8割を超えたホーム戦の40勝1敗、勝率97.6%はNBA史上最高成績である。バード自身平均得点25.8(リーグ4位)、フリースロー成功率89.6%(同1位)、平均スティール数2.02(9位)、平均リバウンド9.8(7位)、スリーポイントシュート成功率42.3%(4位)でスリーポイント成功82本(1位)と多くカテゴリーリーグ上位入ったシーズン終了するバードシーズンMVP選ばれた。3年連続シーズンMVP獲得ビル・ラッセルウィルト・チェンバレン次いで史上3人目であり、センター以外の選手ではバード初めであったセルティックスプレイオフNBAファイナルまで11勝1敗の成績勝ち上がりロケッツ対戦した。6試合渡ったファイナルで、バードシリーズ平均24得点、9.5アシスト、9.7リバウンドトリプル・ダブルに近い数字残し最終戦となった第6戦では、29得点12アシスト11リバウンドトリプルダブル記録した。4勝2敗でセルティックスロケッツ下しバードファイナルMVP選ばれた。 翌1986-1987シーズンバード平均得点リーグ4位の28.1得点アシストリバウンド平均それぞれ7本と9本を超える高い水準だった。フィールドゴールフリースローの成功率それぞれ50%90%を超えたビル・ウォルトン出場試合数怪我のため10試合とどまりチーム5923敗でリーグ2位だった。プレイオフ1回戦セルティックスブルズを3勝0敗で一掃したものの、続くカンファレンス・セミファイナルでは合計3回延長含めて7戦までもつれて際どい勝利となったカンファレンス・ファイナルでは、成長著しデトロイト・ピストンズ対戦したボストン行われた最初の2戦ではセルティックス勝利デトロイト行われた続く2戦はピストンズが勝ちを収め、2勝2敗のタイシリーズ第5戦の舞台は再びボストン移ったピストンズ107106リードして試合終了まで残り数秒という時点でピストンズボールのスローインとなったが、アイザイア・トーマスインバウンズパスバードインターセプトし、最後デニス・ジョンソンゴール決めて土壇場逆転果たしセルティックスの3勝2敗となった。このスティールは、1965年ジョン・ハブリチェック1984年ジェラルド・ヘンダーソンスティールとならび、ボストン・セルティックス歴史上有名なスティール一つとなった。続く2試合それぞれホームチーム勝利しセルティックスNBAファイナル進出4年間で3度目レイカーズとの対戦となったNBAファイナルでは、ロサンゼルス行われた最初の2戦をレイカーズ勝利。続くボストンでの3戦目をセルティックス勝利した。第4戦の終盤残り12秒時点バードスリーポイントシュートによりセルティックスリードを奪うが、コート外出たボールマジック・ジョンソン中央進め、フックシュートを放ち残り2秒でレイカーズが再逆転した最後の瞬間バード放ったシュートリングから落ちシリーズセルティックスの1勝3敗となった。続く第5戦はセルティックス大勝したものの、ロサンゼルス戻った第6戦をセルティックス落としレイカーズ優勝決まったバードセルティックスNBAファイナル進んだのはこの年最後であり、バードマジック・ジョンソン優勝争ったのはこれが最後となった。 なお、この年オールスター期間に開催されるスリーポイントコンテスト (Long Distance Shootout) に優勝しており、1988年まで3連覇した。

※この「キャリア中期」の解説は、「ラリー・バード」の解説の一部です。
「キャリア中期」を含む「ラリー・バード」の記事については、「ラリー・バード」の概要を参照ください。

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