キャリア中盤:1986–1990
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「ローレンス・テイラー」の記事における「キャリア中盤:1986–1990」の解説
1986年シーズンは、NFL史上最も成功した守備の選手として、テイラーが脚光を浴びるシーズンとなった。テイラーはリーグトップの20.5サックを記録し、守備の選手として初めて満場一致のMVPに選出された。チームはレギュラーシーズンを14勝2敗、NFC第1シードでプレイオフに進出し、ディビジョナルプレイオフで49ERSを49対3、カンファレンス決勝でレッドスキンズを17対0で破り、第21回スーパーボウルに進出した。スーパーボウルでは、プロ入り3年目のQBジョン・エルウェイ擁するデンバー・ブロンコスと対戦し、リードを許したまま後半を迎える展開になったが、後半は圧倒し逆転で、チーム及びテイラーにとって、初のスーパーボウル制覇を果たした。なお、この試合でテイラーは、第2Q序盤、ゴールライン残り1ヤードの攻防でエルウェイのロールアウトによるタッチダウンを防ぎ、ブロンコスペースになりかけた試合の流れを食い止めるキープレーを決めている。 1987年シーズン、ジャイアンツは前シーズン、若い年齢構成でスーパーボウルを制覇していたため、優勝争いの本命とされていた。しかし、ストライキで1試合減ったシーズンを6勝9敗の低成績で終えた。ストライキでジョー・モンタナ等の有力選手がスト破りをする中、テイラーはストライキに参加して試合に欠場したが、チームが連敗し、給与も支払われなかったことから、ストライキを無意味なものと考えるようになり、フィールドに復帰する決断をした。テイラーはこのシーズン、12試合に出場し12サックと活躍したが、ハムストリング筋を痛めて、1試合欠場して、106試合続けていた連続試合出場が止まった。 1988年シーズン、前シーズン低迷したとはいえ、スーパーボウル制覇から2年の若いチームはこの年も優勝候補だと考えられていた。しかし、テイラーがリーグの薬物テストでコカインが2度目の陽性(1回目は非公表)となり、30日間の出場停止処分を受けた。過去多くの名選手が薬物の問題で現役生活を台無しにしていることから、テイラーの私生活やリハビリに多くの人が興味を持った。テイラーが欠場した4試合、チームは2勝2敗で終え、テイラーが復帰すると以前の支配的なプレーは健在であり、12試合で15.5サックの大活躍をした。テイラーは、プレイオフが掛かったシーズン最終盤のセインツ戦で胸筋を肉離れしながらプレーし、7タックル、3サック、2ファンブルフォースの大活躍をし、チームを13対12の勝利に導いたが、10勝6敗で並んだイーグルス・ラムズとのタイブレークの差でプレイオフ進出を逃した。 1989年シーズン、脛骨骨折をしながらプレーしたため、出場機会が限られたが、テイラーは15サックを記録した。フィールド外での問題行動が度重なっていたにも関わらず、チームメイトの信頼が厚く、カール・バンクスと共同守備キャプテンに就任した。前シーズン限りでプロボウル9度選出の守備キャプテンのハリー・カーソンが引退し、「ブルー・レッキング・クルー」と呼ばれて1980年代に恐れられたジャイアンツのラインバッカー陣4人の一角が崩れたが、2人のキャプテンはこの穴を埋めた。ジャイアンツはこのシーズン、12勝4敗で終え、NFC第3シードでプレイオフに進出した。ラムズとのディビジョナルプレイオフで、テイラーは2サック、1ファンブルフォースの活躍をしたが、オーバータイムの接戦の末、19対13で敗退した。 1990年シーズンの開幕前、テイラーは新契約を求め、トレーニングキャンプに参加しないホールドアウトを実行した。交渉はもつれ、開幕直前4日前に守備の選手で当時リーグ最高額の3年500万ドル(テイラーの当初要求は年200万ドル)の新契約が締結された。プレシーズンゲームを全休し、開幕直前にチームに合流したにもかかわらず、テイラーは開幕戦のイーグル戦で3サック、1ファンブルフォースの大活躍をした。このシーズン、テイラーは10.5サックを記録し、10度目のプロボウルに選ばれたが、プロになって初めてオールプロには選出されなかった。チームは開幕10連勝し、最終的に13勝3敗でレギュラーシーズンを終え、14勝2敗の49ersに次ぐNFC第2シードでプレイオフに進出した。ディビジョナルプレイオフではNFC中地区優勝でNFC第3シードのベアーズを31対3の圧勝で破り、NFCチャンピオンシップに進出した。テイラーが何度もプレイオフで戦ってきた49ERSとのNFCチャンピオンシップでは、試合終盤にテイラーが2枚のブロックを突破してファンブルを誘い、このターンオーバーから決勝フィールドゴールに繋げ、15対13で49ersを破った。湾岸戦争下で行われた第25回スーパーボウルでは、AFC代表のバッファロー・ビルズの決勝フィールドゴールが外れ、チーム及びテイラー自身2度目のスーパーボウル制覇を果たした。
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