キャリア中盤:1986–1990とは? わかりやすく解説

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キャリア中盤:1986–1990

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:15 UTC 版)

ローレンス・テイラー」の記事における「キャリア中盤:1986–1990」の解説

1986年シーズンは、NFL史上最も成功した守備選手として、テイラー脚光を浴びるシーズンとなったテイラーはリーグトップの20.5サック記録し守備選手として初め満場一致MVP選出された。チームレギュラーシーズン14勝2敗、NFC第1シードプレイオフ進出し、ディビジョナルプレイオフで49ERS49対3カンファレンス決勝レッドスキンズ17対0で破り第21回スーパーボウル進出したスーパーボウルでは、プロ入り3年目QBジョン・エルウェイ擁するデンバー・ブロンコス対戦しリード許したまま後半迎える展開になったが、後半圧倒し逆転で、チーム及びテイラーにとって、初のスーパーボウル制覇果たした。なお、この試合テイラーは、第2Q序盤ゴールライン残り1ヤード攻防エルウェイロールアウトによるタッチダウン防ぎ、ブロンコスペースになりかけ試合の流れ食い止めるキープレーを決めている。 1987年シーズンジャイアンツは前シーズン、若い年齢構成スーパーボウル制覇していたため、優勝争い本命とされていた。しかし、ストライキ1試合減ったシーズンを6勝9敗の低成績終えたストライキジョー・モンタナ等の有力選手スト破りをする中、テイラーストライキ参加して試合欠場したが、チーム連敗し給与支払われなかったことから、ストライキ無意味なものと考えるようになり、フィールド復帰する決断をした。テイラーはこのシーズン12試合出場し12サック活躍したが、ハムストリング筋を痛めて1試合欠場して106試合続けていた連続試合出場止まった1988年シーズン、前シーズン低迷したとはいえスーパーボウル制覇から2年の若いチームこの年優勝候補だと考えられていた。しかし、テイラーリーグ薬物テストでコカインが2度目陽性1回目は非公表)となり、30日間出場停止処分受けた過去多くの名選手薬物問題現役生活台無しにしていることから、テイラー私生活リハビリ多くの人が興味持ったテイラー欠場した4試合チームは2勝2敗で終えテイラー復帰する以前支配的なプレー健在であり、12試合で15.5サック大活躍をした。テイラーは、プレイオフ掛かったシーズン最終盤のセインツ戦で胸筋肉離れしながらプレーし、7タックル、3サック、2ファンブルフォース大活躍をし、チーム1312勝利導いたが、10勝6敗で並んだイーグルス・ラムズとのタイブレークの差でプレイオフ進出逃した1989年シーズン脛骨骨折しながらプレーしたため、出場機会限られたが、テイラー15サック記録したフィールド外での問題行動度重なっていたにも関わらずチームメイト信頼厚く、カール・バンクスと共同守備キャプテン就任した。前シーズン限りプロボウル9度選出守備キャプテンのハリー・カーソンが引退し、「ブルー・レッキング・クルー」と呼ばれて1980年代恐れられジャイアンツラインバッカー陣4人の一角崩れたが、2人キャプテンはこの穴を埋めたジャイアンツはこのシーズン12勝4敗で終えNFC第3シードプレイオフ進出したラムズとのディビジョナルプレイオフで、テイラーは2サック、1ファンブルフォース活躍をしたが、オーバータイム接戦の末、1913敗退した1990年シーズン開幕前、テイラーは新契約求め、トレーニングキャンプに参加しないホールドアウト実行した交渉はもつれ、開幕直前4日前に守備選手当時リーグ最高額3年500ドルテイラー当初要求は年200ドル)の新契約締結された。プレシーズンゲームを全休し、開幕直前チーム合流したにもかかわらずテイラー開幕戦イーグル戦で3サック、1ファンブルフォース大活躍をした。このシーズンテイラーは10.5サック記録し10度目のプロボウル選ばれたが、プロになって初めオールプロには選出されなかった。チーム開幕10連勝し、最終的に13勝3敗でレギュラーシーズン終え14勝2敗の49ersに次ぐNFC第2シードプレイオフ進出した。ディビジョナルプレイオフではNFC中地区優勝NFC第3シードベアーズ31対3圧勝破りNFCチャンピオンシップ進出したテイラー何度もプレイオフ戦ってきた49ERSとのNFCチャンピオンシップでは、試合終盤テイラー2枚ブロック突破してファンブル誘い、このターンオーバーから決勝フィールドゴール繋げ151349ers破った湾岸戦争下で行われた第25回スーパーボウルでは、AFC代表のバッファロー・ビルズ決勝フィールドゴール外れチーム及びテイラー自身2度目スーパーボウル制覇果たした

※この「キャリア中盤:1986–1990」の解説は、「ローレンス・テイラー」の解説の一部です。
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