キャリア初期: 弱小の時代
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「アイザイア・トーマス」の記事における「キャリア初期: 弱小の時代」の解説
トーマスは1981年のNBAドラフト全体2位でピストンズに指名された。この年の1位指名権を持っていたのはダラス・マーベリックスだったが、トーマスはマーベリックスを避けていた。ピストンズも21勝61敗と下から2番目の成績の弱小チームであった。彼はピストンズへの入団も希望しておらず、故郷のシカゴ・ブルズに関心を持っていたが、ピストンズ球団関係者の説得をかわしきれなかった。入団当初の会見で、トーマスはピストンズをボストン・セルティックスやロサンゼルス・レイカーズのような強豪にしたいと話したが、それを真に受ける者は少なかった。 1年目の1981-82シーズンには17得点、7.8アシストをあげ、オールルーキーファーストチームに選ばれた。2年目には22.9得点、7.8アシストでオールNBAセカンドチームに選出。オールスター戦にも新人のシーズンから出場し、トーマス個人の実力は評価されていた。しかしチームは1981-82シーズンには39勝43敗、翌年は37勝45敗と負け越しており、プレイオフ出場もままならない状態だった。 なお、トーマスが新人だったシーズンの途中でビル・レインビアがチームに加わり、3年目の1983-84シーズンからはチャック・デイリーヘッドコーチが就任している。 トーマスは勝利への欲求が強く、チームがあまりに勝てないため真剣に退団を考えたことがあったが、デイリーらの説得で思いとどまった。また1年目のシーズンからNBAファイナルに通い、勝利には何が必要なのかを学ぼうとした。バスケットボールばかりでなくアメリカンフットボールのスター選手にも会い、勝利の秘訣を知ろうとした。
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