キャリア初期、インディー団体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 09:03 UTC 版)
「Bボーイ (プロレスラー)」の記事における「キャリア初期、インディー団体」の解説
クリストファー・ダニエルズを含む様々なレスラーな元でトレーニングを積み、2000年にUPWでデビュー。UPWではベニー・チョン(Benny chong)のリングネームを使い、"ファンキー"ビリー・キムとのマニラ・スリラーズ(The Manilla Thrillaz)というタッグでも活動をしていた。 2003年までに更に活動の場所を増やし、レボリューション・プロレスリング(Revolution Pro Wrestling)、エピック・プロレスリング(EPIC Pro Wrestling)、ゴールデン・ステイト・チャンピオンシップ・レスリング(Golden State Championship Wrestling)といった団体にも参戦、ユナイテッド・インディペンデント・レスリング・アライアンス(United Independent Wrestling Alliance)ではUIWAクルーザー級王座を獲得している。2003年後半になると南カリフォルニアを拠点にしつつCZW、PWG、JAPWにも活動の場を増やしている。7月にはワールド・パワー・レスリング(World Power Wrestling)に参戦、8月にはオール・プロレスリング(All Pro Wrestling)でジェームズ・チョイからAPWワールドワイド・インターネット王座を奪っている。その6日後にメジャー・リーグ・レスリング(Major League Wrestling)に参戦、NOSAWAと組み試合をしている。 2004年1月にドイツのwXwに参戦している。6月にJCW J-Cup Tournamentに出場、決勝まで残るがスーパー・ドラゴンに敗れている。その翌月にはROHに初参戦している。8月にワールド・パワー・レスリングのトーナメントに出場して優勝をしている。 2005年に入るとスーパー・ドラゴンとチームPWG(Team PWG)を結成、Chikaraのタッグトーナメントに出場。一回戦を突破するが二回戦でチーム大阪プロレス(ビリーケン・キッド、えべっさん)に敗れている。その後ROHに戻り、2月にはケビン・スティーンとのシングルマッチ、3月には6wayマッチを経験している。6月にプロ・ペイン・プロレスリング(Pro-Pain Pro Wrestling)でラッカスと対戦。10月に再びROHに戻りコルト・カバナと対戦している。
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