キャリア初期、WCW(1988-1997)
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「ジェリー・リン」の記事における「キャリア初期、WCW(1988-1997)」の解説
リンは1988年からミネソタ州やミシガン州の様々なインディー団体で活動するようになり、プロレスリング・アメリカ(Pro Wrestling America / PWA)やテネシー州に拠点を置くスモキー・マウンテン・レスリング(Smoky Mountain Wrestling)に参戦していた。PWAが閉鎖されるとテキサス州ダラスに拠点を置くグローバル・レスリング・フェデレーション(Global Wrestling Federation)に参戦するようになり、GWFライトヘビー級王座を獲得したり、2年間ライトニング・キッドと抗争をしたりしている。 1990年にユニバーサルプロレスに初来日。 1993年12月10日にみちのくプロレスに、1試合のみの出場でサブゥーと対戦。 1995年8月にもゴルゴダ・クロスというマスクマンとして、みちのくプロレスに来日。覆面ワールドリーグ戦にするも、最下位となりマスクを脱いだ。 1995年にはWCWにマスクマンのMr.J.L.として登場し知られるようになり、ハイフライヤーとしてWCWのクルーザー戦線へと参戦している。クルーザー戦線ではメキシコこのルチャ・ドーラーズと対戦したり世界各国のレスラー、クリス・ベノワ、ディーン・マレンコ、エディ・ゲレロ、サブゥー、クリス・ジェリコ、アレックス・ライトと対戦している。12月にナイトロの放映される予定だったディーン・マレンコとの試合で腕を負傷している。サタデー・ナイトにも出演するようになり、特にレックス・ルガーと対戦している。1997年のClash of the Champions XXXVでコナン、ラ・パルカと組んでクリス・ジェリコ、スペル・カロ、チャボ・ゲレロ・ジュニアと対戦している最中に負傷、負傷が原因でエリック・ビショフに解雇されている。 5月には新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・スーパージュニアにエントリー。
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