エリア7 三池
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 23:01 UTC 版)
「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の記事における「エリア7 三池」の解説
地図 三池炭鉱・三池港 No. 名称 所在地 概要 7-1 三池炭鉱、三池港 Miike Coal Mine and Miike Port (ID1484-020) 福岡県大牟田市・熊本県荒尾市 1873年に操業開始し、明治政府から1889年に三井に移管、1997年に閉山した炭鉱。1894年、團琢磨は宮原と万田での新坑掘削を提言し、開削につながる。一方、三池港は石炭の積出港として整備された。登録面積は119.78 ha(緩衝地域371.61 ha)である。 三池炭鉱 宮原坑 1898年に第一竪坑、1901年に第二竪坑が完成した。第二竪坑の櫓とデビーポンプ室の壁の一部が現存する。国の史跡に指定、また第二竪坑櫓、第二竪坑巻揚機室は建造物として国の重要文化財に指定。第二竪坑は主に人員の昇降と排気を行う坑で、2基の昇降機が設けられている。当初は蒸気を動力としたが、後に電気に変わり、現存する電動モーターは昭和初期のものである。なお、竪坑自体は閉塞されている。観光に料金は不要。また、係員による無料のガイドもある。炭坑夫、またその家族が住んでいた社宅は一棟だけが保管されている。 三池炭鉱 万田坑 1902年に第一竪坑、1908年に第二竪坑が完成した。また、これに合わせて機械室、選炭場、事務所などの施設が造られたが、当時の煉瓦造りの建物や、外国産あるいは国産の機械類が、良好な状態で保存されている。第一竪坑口と第一竪坑跡、汽罐場跡、選炭場跡、坑内トロッコ軌道敷などの一連の工程を構成する施設群は国の史跡に指定、また第二竪坑櫓、第二竪坑巻揚機室、倉庫及びポンプ室、安全灯室及び浴室、事務所、山ノ神祭祀施設は建造物として国の重要文化財に指定。 三池炭鉱 専用鉄道敷跡 宮原坑及び三池炭鉱専用鉄道敷跡 1930年当時の三池地区の鉄道網 石炭や資材の運搬のために敷設された専用鉄道で、1891年に七浦坑と大牟田川河口を結ぶ最初の区間が開通、1905年に三池港まで延伸開通した。設置当時に造成された切土・盛土の跡などはそのまま残っている。国の史跡に指定。1909年から1923年にかけて全線電化したほか、坑口や主要工場へと多くの支線が設けられ、最盛期には客車も運行された。現在その一部は三井化学の専用鉄道となり、原材料の運搬を担っている。 三池港 三池炭鉱で産出された石炭を大型船に乗せて運搬するために建設された港で、1908年に竣工した。干満の差が大きい有明海で大型船を航行させるため、汐待ちのために閘門で締め切った内港が設けられた。また、砂泥の侵入を防ぐために長い防砂堤が設置された。港は現在も重要港湾として使用されている。築港時に建てられた税関の建物も残っている。 7-2 三角西(旧)港 Misumi West Port (ID1484-021) 熊本県宇城市 明治政府において産業開発と併せた港湾整備の一環として建設された港で、1887年に開港した。オランダ人技師ローウェンホルスト・ムルデルの設計。石積みの埠頭、道路、排水路、石橋などがそのまま残っており、明治期の港湾の中では日本で唯一完全な状態で現存する。鉄道と併せて三角東港が整備されたため荷役を取って代わられ、早期に衰退したため当時の状態が残っている。埠頭などが建造物として国の重要文化財に指定、旧三角海運倉庫、龍驤館、旧三角簡易裁判所、旧宇土郡役所が国の登録有形文化財に登録されているほか、「三角浦の文化的景観」の名称で重要文化的景観として選定されている。なお、三池港整備以前の三池炭鉱の石炭積出港でもあり、1893年からの9年間、上海などに向けて石炭の輸出が行われた。登録面積は18.61 ha(緩衝地域83.45 ha)である。
※この「エリア7 三池」の解説は、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の解説の一部です。
「エリア7 三池」を含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の記事については、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の概要を参照ください。
- エリア7 三池のページへのリンク