ウェイク・フォレスト大学
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「ティム・ダンカン」の記事における「ウェイク・フォレスト大学」の解説
ウェイク・フォレスト大はダンカンが入部する前にチームのエースだったロドニー・ロジャースが1993年のNBAドラフトでNBA入りしてしまったため、彼にかわるチームの柱を求めていた。ダンカンにその期待が掛かったが、最初の頃はカレッジバスケへの対応がうまくいかず、無得点の試合さえあり、1年目の1993‐94シーズンは平均9.8得点9.6リバウンドの成績に終わるが、シーズンが進むごとに徐々に存在感を増していき、ウェイク・フォレスト大は20勝11敗の成績を残した。ダンカンのプレースタイルは単純だったがとても効果的であり、豊富な引き出しを持つポストプレー、ミドルレンジからのバンクショット、厳しいディフェンスは強力な武器となり、1994年のグッドウィルゲームズではアメリカ代表に選ばれた。当時からダンカンはストイックで無駄を一切排したプレースタイルだったため、カレッジバスケファンは、彼のそんな「地味」なスタイルをなじる意味で"Mr. Spock"(感情を表に出さないスタートレックの登場人物)というニックネームをつけた。バスケットボールに精を出す一方、学生の本分である学業にも熱心に取り組み、心理学の学位取得を目指し、また人類学や中国語のクラスも取った。大学心理学主任教授デボラ・ベストは「彼は私の特別優秀な学生たちの一人だった。彼らとダンカンを見分けられるのは身長だけだ」と語っている。 2年目の1994‐95シーズンにダンカンの評判は益々高まり、ジョー・スミスやラシード・ウォーレス、ジェリー・スタックハウスらと共に将来NBAで活躍するだろうと目されるようになった。ロサンゼルス・レイカーズのゼネラルマネージャー、ジェリー・ウェストはダンカンに1995年のNBAドラフトにアーリーエントリーするよう勧めた。NBAは1996年にサラリーキャップ制度に新たにルーキーの契約に制限を設けるルーキーサラリーキャップ制度を導入する予定であり、その前にNBA入りすればダンカンのもとにはより多くの契約金が入ってくるはずだったが、ダンカンはお金よりも大学生活をとった。14歳の時に亡くなった母が常々大学だけは卒業するよう言っていたため、その遺志に従ったのである。ダンカンはこのシーズン、ウェイク・フォレスト大をACCトーナメント決勝に導き、この場でラシード・ウォーレス擁するノースカロライナ大学と対戦。試合はチームメートのランドルフ・チルドレスが残り4秒で劇的な決勝点を決めてウェイク・フォレスト大が勝利したが、ダンカンはNBA入り後もライバルの一人となるウォーレスを封じ込め、チームの勝利に貢献した。ウェイク・フォレスト大はNCAAトーナメントのSweet16まで進出し、オクラホマ州立大学との試合でダンカンは12得点22リバウンド8ブロックの活躍を見せたが、チームは敗退した。ダンカンはこのシーズン、前年を大きく上回る平均16.8得点12.5リバウンドをあげ、3.98ブロックはNCAA史上3位となる好記録となり、年間最優秀守備選手賞とオールACC1stチームに選ばれた。 1995-96シーズンに入る前、チームの中心選手だったランドルフ・チルドレスが大学を去り、NBA入りしたため、ダンカンのチーム内での重要性は益々高まった。ダンカンはこの機会にリーダーとして大きく成長し、見事な統率力でチームを率い、シーズン中は僅か4敗しかしなかった。しかしNCAAトーナメント中にダンカンは風邪を患ってしまい、チームは再びSweet16で敗退している。ダンカンのこのシーズンの成績は平均19.1得点12.3リバウンドでACCの得点王、リバウンド王、ブロックショット王、フィールドゴール成功率1位に輝き、この4部門でカンファレンス1位となったACC史上初の選手となった。2年連続の最優秀守備選手賞とACC年間最優秀選手、オールアメリカ1stチームに選ばれた。シーズン終了後にはダンカンがNBAドラフトにアーリーエントリーするのではないかという噂が立ったが、結局ダンカンは大学に残った。 大学での最終年となる1996‐97シーズンには216cmのローレン・ウッズが加わり、チームのロスターは充実。開幕から13連勝を記録するもシーズン後半に調子を崩してしまい、3年連続のACCタイトル獲得はならなかったが、NCAAトーナメントではSweet16でブレビン・ナイト擁するスタンフォード大学を72‐66で降し、念願のElite8進出を果たしている。ダンカンの成績は最終年にしてついに大台の平均20得点10リバウンドを突破する20.8得点14.7リバウンド3.2アシスト、フィールドゴール成功率60.6%をあげ、NCAA1部リーグのリバウンド王に輝くと共に先例のない3年連続の最優秀守備選手賞を受賞。さらに2年連続となるオールアメリカ1stチームとACC年間最優秀選手賞、全米バスケットボール記者協会選出の年間最優秀選手、ネイスミス賞、ジョン・ウッデン賞とカレッジバスケ界の主要個人賞を総なめにした。 ダンカンの大学4年間の成績は平均16.5得点12.3リバウンドとなり、ウェイク・フォレスト大は彼の在学中97勝31敗の成績をあげた。通算481ブロックはNCAA史上2位となり、またNCAA史上10人しかいない通算2,000得点1,500リバウンド以上達成者の一人となり、史上初となる通算1,500得点1,000リバウンド400ブロック200アシスト以上達成者にもなった。ダンカンはウェイク・フォレスト大学での4年間を全うし、満を持して、1997年のNBAドラフトにエントリー。1995年のNBAドラフトでケビン・ガーネットが高校卒業後すぐにエントリーしたことが象徴するように、ドラフト候補生は年々低年齢化していくなかで、ダンカンのように大学で丸々4年間プレイすることは珍しい例となる。
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