ウィーン市街改造計画とは? わかりやすく解説

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ウィーン市街改造計画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 07:39 UTC 版)

ウィーンの歴史」の記事における「ウィーン市街改造計画」の解説

リングシュトラーセ」も参照 中世から近世にかけての、自治都市市壁によって「都市の自由」を守る時代は、すでに終わりを告げていた。市壁の上ウィーン市民散歩道となっており、市壁外空き地緑化進んでおり市民憩いの場となりつつあった。このように市壁必要性は既に失われていたのであるパリでは、1850年代よりジョルジュ・オスマンのもとで大規模な都市改造が行われて近代都市へと脱皮しフランスとその指導者ナポレオン3世威光ヨーロッパ中に示していた。こうした中、ウィーンもかつての市壁撤去し近代都市へと生まれ変わることで、オーストリア帝国威光を示すとともに工業化にともなう人口集中対応する必要があったのであるまた、鉄道網整備する上で市壁のせいで線路市の中心部まで敷設できないでいた(ウィーン南駅ウィーン西駅がやや中心部から外れているのはこれに由来する)。 1858年より、市壁取り壊し開始された。同年オーストリア国家主導都市計画公募開始され年末に全応募案がウィーン市民公開された。この際ウィーン市介入はできる限り排除され、常に主導権国家にあった市壁取り壊しは、かつて皇帝にすら反旗掲げたウィーン自治崩されていく象徴ともいえた。その点で、この都市改造計画自律的な市民徐々に国民化される過程とも理解できる当時ウィーン市長ヨハン・カスパール・ザイラーは、こうした国家主導都市改造に不満を表明している。 1853年不凍港獲得目指すロシア帝国オスマン帝国との間に戦端開いてクリミア戦争起こったが、これに対しバルカン半島におけるロシア影響力がさらに増大することを恐れたオーストリアは、オスマン帝国支持まわった。これはナポレオン戦争以来盟友であったロシアとの関係決定的に悪化させた。1859年にはイタリア統一リソルジメント)を企図していたサルデーニャ王国との戦争敗北しミラノなどロンバルディア地方失い1866年にはビスマルク率いプロイセン王国との間に普墺戦争起こってケーニヒグレーツの戦い大敗喫したその結果オーストリア盟主とするドイツ連邦消滅しイタリアでヴェネト地方を失うなどハプスブルク家率いオーストリア確実にその国際的地位低下させていったドイツから閉め出された形となったオーストリアは、1867年アウスグライヒ妥協)によってやむなくマジャール人自治認めてオーストリア=ハンガリー二重帝国成立したその結果オーストリア帝国正式には「帝国議会において代表される諸王国および諸邦」)とハンガリー王国外交・軍事一部財政ともにするだけで、帝国内ではそれぞれ独自の政府議会をもつこととなったヨーロッパ各国民族主義に基づく国家統一の嵐が吹き荒れるなかで、複合民族国家オーストリア帝国はその存在意義厳しく揺さぶられた。したがって排他的な民族主義対峙するコスモポリタン的な近代都市としてウィーン完成させることは、自らの帝国理念、そして帝国存在意義帝国内外知らしめるためにも必要不可欠であった19世紀後半になると、戦争英雄に代わって、ウィーン活躍した芸術家銅像盛んに建てられるようになったが、このことも、当時ウィーンがおかれていた状況示しているものといえる。 城壁跡にはリングシュトラーセ環状道路)が建設され環状道路沿いに帝国議会議事堂ドイツ語版)、国立オペラ劇場ウィーン楽友協会などがあいついで建設された。1873年にはプラーター公園ウィーン万国博覧会開催され近代都市ウィーン対外的アピールした日本岩倉使節団もこの万博見学している。オーストリア帝国各地からウィーンへの移住者があいつぎ、郊外集合住宅並び立った当時皇帝フランツ・ヨーゼフ1世ユダヤ人寛大な姿勢をとっており、東欧各地ポグロムユダヤ人迫害)が横行していたためユダヤ人移住もあいついだ。こうして、ウィーンはそのコスモポリタン的な性格を一層強めることになった行政語として定められていたドイツ語のほか、ハンガリー語チェコ語ポーランド語イディッシュ語ルーマニア語ロマ語イタリア語など、様々な言語を街では耳にすることができた。

※この「ウィーン市街改造計画」の解説は、「ウィーンの歴史」の解説の一部です。
「ウィーン市街改造計画」を含む「ウィーンの歴史」の記事については、「ウィーンの歴史」の概要を参照ください。

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