ウィーン幻想派に学んだ教師
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 05:27 UTC 版)
「ヴィーナマールシューレ」の記事における「ウィーン幻想派に学んだ教師」の解説
ウィーン幻想派のメンバー(ルドルフ・ハウズナー、エルンスト・フックス、ヴォルフガング・フッター、アントン・レームデン、エーリッヒ・ブラウアー)の5人は、ともに1920年代の生まれである。第2次大戦後、アメリカを中心としてアンフォルメルが席巻する中、ウィーンにおいてそれまでにない傾向 を備えた若い作家たちが出現した。1956年ウィーンの美術批評家ヨハン・ムシックが彼らを「ウィーン幻想リアリスム」と命名し、そののち世界中に迎えられることとなった。日本では1972年、小田急百貨店、兵庫県立近代美術館、愛知県美術館を巡回する『神秘と夢幻のレアリスム」と副題のついた「ウィーン幻想絵画展」が開催され、描画手法すら解読できぬ絵肌とともに細密で繊細な表現に観る者は驚嘆させられた。その深甚な影響は年齢を問わず一群の日本の作家たちにおよび、開催3年の後に川口起美雄はオーストリア国立ウィーン応用美術大学に留学し、ウォルフガング・フッターから混合技法を学ぶことになる。さらに1979年、坂下広吉は国立 ウィーン美術アカデミーでルドルフ・ハウズナーから、1981年に鈴木和道はウイーン応用芸術大学に留学し、ヴォルフガング・フッターから混合技法を学んだ。なお校長であったマリレ・イヌボウ・オノデラはウィーン応用芸術大学のゾンマセミナー(夏期講座)でエルンスト・フックスからも学んでいる。
※この「ウィーン幻想派に学んだ教師」の解説は、「ヴィーナマールシューレ」の解説の一部です。
「ウィーン幻想派に学んだ教師」を含む「ヴィーナマールシューレ」の記事については、「ヴィーナマールシューレ」の概要を参照ください。
- ウィーン幻想派に学んだ教師のページへのリンク