ウィーンでの晩年とは? わかりやすく解説

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ウィーンでの晩年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 03:45 UTC 版)

フランツ・シューベルト」の記事における「ウィーンでの晩年」の解説

1827年グラーツへ短い訪問をしていることを除けば1826年から1828年にかけてウィーンに留まった。その間、たびたび体調不良襲われている。 晩年シューベルト人生俯瞰したとき、重要な出来事3つみられる一つ目1826年新し交響曲ウィーン楽友協会献呈し、その礼としてシューベルト10ポンド与えられたこと。二つ目オペラ指揮者募集応募するためオーディションに出かけ、リハーサルの際に演奏曲目自作曲変更するよう楽団員たちに提案した拒否され最終的に指揮者採用されなかったこと。そして三つ目1828年の春、人生初めてで生前唯一の、彼自身の作品演奏会である。 1827年に、シューベルトは『冬の旅』(D911)、『ピアノヴァイオリンのための幻想曲』(D934)と2つのピアノ三重奏曲(Op.99/D898、Op.100/D929)を書いた1827年3月26日ベートーヴェン死去しシューベルト葬儀参列したウィーン市民2万人大葬列の中の一人)。その後友人たち酒場行き、「この中でもっとも早く死ぬ奴に乾杯!」と音頭をとった。このとき友人たち一様に大変不吉な感じ覚えたという。そして、彼の寿命はその翌年尽きた最晩年1828年、『ミサ曲変ホ長調(D950)、同じ変ホ長調の『タントゥム・エルゴ』(D962)、『弦楽五重奏曲』(D956)、『ミサ曲ハ長調』(D452)のための2度目の『ベネディクトス』(D961)、最後3つのピアノ・ソナタ』(D958、D959、D960)、『白鳥の歌』として有名な歌曲集(D957/D965A)を完成させた。この中の6曲はハイネの詩につけられた。ハイネ名声不動のものにした詩集歌の本』は1827年秋に出版されている。シューベルト対位法理論家として高名だった作曲家ジーモン・ゼヒター(のちにブルックナーの師となる)のレッスン所望し、知人一緒に彼の門を叩いた。しかし何度かのレッスンのあと、ゼヒターはその知人からシューベルト重病知らされた。11月12日付のショーバー宛の手紙でシューベルトは「僕は病気だ。11日間何も口にできず、何を食べて飲んでもすぐに吐いてしまう」と著し体調不良訴えた。これがシューベルト最後の手紙となったその後シューベルトは『冬の旅』などの校正行っていたが、11月14日になると病状悪化して高熱浮かされるようになり、同月19日に兄フェルディナントの家で死去した31歳没。フェルディナントが父へ宛てた手紙によると、死の前日部屋の壁に手を当てて「これが、僕の最期だ」と呟いたのが最後の言葉だったという。 遺体シューベルトの意を酌んだフェルディナント尽力により、ヴェーリングにあったヴェーリング墓地の、ベートーヴェンの墓の隣に埋葬された。1888年両者遺骸ウィーン中央墓地移されたが、ヴェーリング墓地跡のシューベルト公園には今も2人当時墓石残っている。 死後間もなく小品出版されたが、当時出版社シューベルトを「シューベルティアーデドイツ語版)のための作曲家」とみなして大規模作品出版することはなかった。 シューベルト死因については、死去した年の10月レストラン食べた魚料理がもとの腸チフスであったとも、エステルハージ家女中から感染した梅毒治療のために投与され水銀体内蓄積中毒症状引き起こして死に至ったとも言われている。シューベルト生誕200年1997年には、改めその人生の足跡を辿る試みが行われ、彼の梅毒罹患テーマにした映画制作され公開された。

※この「ウィーンでの晩年」の解説は、「フランツ・シューベルト」の解説の一部です。
「ウィーンでの晩年」を含む「フランツ・シューベルト」の記事については、「フランツ・シューベルト」の概要を参照ください。

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