ウィーン、シカゴ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 14:53 UTC 版)
「ルドルフ・シンドラー」の記事における「ウィーン、シカゴ時代」の解説
ルドルフ・シンドラーは1887年9月10日、オーストリア、ウィーンのユダヤ系中流家庭に生まれる。父は木・金属細工の製作・輸入を、母は仕立てを生業としていた。1899年から1906年までをImperial and Royal High schoolで過ごした後、ウィーン産業技術大学ワーグナー校にて1911年、建築の学位を取得した。同校教師陣の中には、オットー・ワーグナーやアドルフ・ロースなど、建築史上に名を残す人物が多数在籍したにもかかわらず、シンドラーはカール・ケーニッヒという教授から最も大きな影響を受けたといわれる。また、生涯の友でありライバルでもあった、リチャード・ノイトラとも、1913年に卒業制作を完成させる前年、この大学で出会っている。 1911年9月から1914年2月まで、ハンス・マイヤーとテオドール・マイヤーの事務所に勤めた後、アメリカ、シカゴに移住し、オッテンハイマー・シュテルン&ライヒェルト(OSR) 事務所に職を求める。ウィーンからの旅の途中、シンドラーはニューヨークにも立ち寄っているが、密集しすぎていて商業的なニューヨークよりも、ヘンリー・ホブソン・リチャードソンやルイス・サリヴァン、そして、尊敬するフランク・ロイド・ライトの作品に触れられるシカゴに魅力を感じたのである。
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