ウィーンでの活躍
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「エリーザベト・シュヴァルツコップ」の記事における「ウィーンでの活躍」の解説
1942年には、カール・ベームのベルリン公演の際にベームの目にとまり、ウィーン国立歌劇場に招かれて契約した。そこで彼女は、モーツァルト『後宮からの誘拐』コンスタンツェを演じ、後にプッチーニ『ラ・ボエーム』ミミ、ヴェルディ『椿姫』ヴィオレッタを歌った。 シュヴァルツコップは、ドイツ帝国の宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスのために5本の長編映画に出演し、演技、歌、ピアノ演奏を披露している。 第二次世界大戦後、ウィーン国立歌劇場の代替会場だったアン・デア・ウィーン劇場で再びミミとヴィオレッタを演じた。ヨーゼフ・クリップスとヘルベルト・フォン・カラヤンは、彼女を中心として、高名なウィーン・モーツァルト=アンサンブルを結成した。1947年と1948年のウィーン国立歌劇場のヨーロッパツアーでは、彼女は1947年9月16日にモーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』ドンナ・エルヴィーラとしてロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスに登場した。ロイヤル・オペラ・ハウスでの公式デビューは1948年1月16日に英語で歌われたモーツァルト『魔笛』パミーナということになっている。1948年にはミラノのスカラ座においてリヒャルト・シュトラウス『ばらの騎士』マルシャリン(元帥夫人)を演じ、これは彼女の代名詞というべき生涯で最も重要な役の一つとなった。 スカラ座への公式デビューは1950年6月29日のベートーヴェン『ミサ・ソレムニス』である。1950年代初頭には、シュヴァルツコップは生涯で唯一様々な役柄で主役を歌っている。ドビュッシー『ペレアスとメリザンド』メリザンド、ヘンデル『ヘラクレス』イオレ、グノー『ファウスト』マルグリート、ワーグナー『ローエングリン』エルザ、ピッコラ・スカラ座でのモーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』フィオルディリージなどである。1951年9月11日、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場でストラヴィンスキー『放蕩児の遍歴』世界初演でアンを歌った。ザルツブルク音楽祭では、主にモーツァルトのオペラで定期的に出演し、バイロイト音楽祭にも出演。ベーム以外にもカラヤンやフルトヴェングラーともしばしば共演した。1952年にはマルシャリンをスカラ座においてカラヤンの指揮で歌い、成功を収めた。以来、この役は彼女を代表する役柄として定着した。1960年には映画(ライブ録音をもとに、映像は舞台上で別途再現撮影することで鮮明さを確保)も制作され、今なお名作としてDVDなどで親しまれている。また、各地で歌曲のリサイタルを数多く行った。1964年10月13日、マルシャリン役でメトロポリタン・オペラにデビュー。ジョージ・セル指揮のリヒャルト・シュトラウスの管弦楽付き歌曲『4つの最後の歌』の録音(1965年)は2020年現在でも伝説となって語り継がれている。
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