ウィーンでの修行時代(1801年-1805年)[16歳-21歳]
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1801年、道中でミュンヘン在住の作曲家、ペーター・ヴィンターに師事した。ベートーヴェンのウィーンへの旅が、少額であれど選帝侯からの支援に基づいていたのに対し、リースの旅は経済的に苦しいものであった。彼はミュンヘンで出来高制の写譜の仕事をして、不足した旅費を自力で工面し、通説では1801年秋にウィーンに辿り着いた。 「ウィーンよりパリの方がよいのではないか」というベートーヴェン自身の当初の助言もあったものの、結果的に、リースはピアノの弟子として受け入れられた。彼は単にピアノのレッスンを受けるだけではなく、演奏会の補助や出版の交渉などのマネージャーのような仕事を与えられ、カール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵やヨハン・ゲオルク・フォン・ブロウネ=カミュ伯爵といったベートーヴェンのパトロンの貴族の前での演奏も任された。これらの一連の活動は、リースのフリーランス音楽家としてのキャリアの土台を作ると共に、顕在化しつつあったベートーヴェンの難聴をフォローする役目も担っていた。 1804年7月19日には、アウガルテンのホールにて、ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲第3番」を再演し、コンサート・ピアニストとしてのデビューを果たす。リースは、師に禁じられた難度の高い自作カデンツァを土壇場で弾きこなし、彼を喜ばせた。 この時期のエピソードは、彼が晩年に執筆した「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに関する覚書」に詳しい。(詳細は後述項目「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに関する覚書」を参照)
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