イスラームにおける一夫多妻制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 23:26 UTC 版)
「一夫多妻制」の記事における「イスラームにおける一夫多妻制」の解説
詳細は「婦人 (クルアーン)」および「イスラームにおける結婚」を参照 一夫多妻制社会の具体例として採り上げられることが多いのがイスラーム社会である。ここではイスラームにおける一夫多妻制を説明するが、イスラーム世界は地域的には非常に多様な世界からなり、それらの地域が必ずしもイスラーム的規範のみから婚姻制度を確立しているわけではなく、地域的慣行なども影響する点は注意が必要である。これらについては地域別の婚姻制度についても参照。 イスラームにおける一夫多妻制は法源をコーランとするイスラーム法的制度である。男性は4人まで妻を娶ることができる。しかしコーランの規定上、夫は妻を保護し扶助を与える義務があり、またそれぞれの妻の間に差異を設けることは決して許されない。これらの条件を満たせないときは一夫一妻が奨励され、夫が義務を怠ったりそれぞれの妻の扱いに差異を設けた場合は離婚申し立てと賠償の根拠となりうる。ただし、この妻を平等に扱う規定に対しては、実際のイスラームの歴史において特に強調されるようになったのは、近代に入り女性の人権を擁護する動きが強まってからである。近代以前は、(イスラームに限ったことではないが)やはり女性の権利は制限されていた。なお、東京イスラミックセンターのWebSiteの「イスラム教入門」では、「人間の男性の性の能力は一夫一妻制を遥かに超えており、不自然な姿である」としている。 4人までと明言されているが正当な理由があれば5人以上の妻を持ってもよいとされている。実際にイスラム教国の王侯貴族には5人以上の妻が公式にいることはめずらしくなく、5人目以降の妻の子であっても継承権などにおいて差別されることはない。正当な理由かどうかの判断はウラマーによって行われ、5人目以降の妻を持つ場合にはウラマーに申し出て正当な理由であることを証明するファトワーを発行してもらう必要がある。 イスラーム社会で一夫多妻制が制度として確立したことに対して、イスラーム法学者からはウンマ(イスラーム共同体)の初期(イスラーム帝国時代)の社会状態が背景にあると説明されることが多い。正統カリフ時代は戦争が相次ぎ、女性は故郷に残されたまま寡婦となることもあった。この際の経済的扶助手段として導入された、とされる。また教義面からはイスラームは宗教的に結婚と社会的再生産を奨励するため、女性の結婚する権利を重視する。しかしながら戦時など一時的に男女間の人口不均衡が起こった際に女性が結婚できにくくなる可能性があり、この際に女性の結婚権を保障するために一夫多妻制が導入されたとも説明しうる。また前近代もしくは発展途上国において、男性による女性への選好の容認および血統主義の観点から、一夫一妻制で子をなせない場合に男性が妻以外の女性と子をなすことが想定され、これを制度化することにより、男性優位的な婚姻制度に一定の安定性を持たせたものともいえる。 一般的にはオリエンタリズム的な乱脈で淫靡なイメージがイスラームの一夫多妻制から想起されているが、現在の日本の学会の主流見解ではこのようなイメージの大部分は外部世界の偏見や無知、また悪意ある宣伝に基づいたものであるとされている。イスラームにおける婚姻制度は法的に極めて厳格であり、二人以上の妻をもつ場合の男性の経済的負担は非常に大きいものとなる。したがって一定以上の社会的地位と経済的実力を持たない限り二人以上の妻を持つことは困難である。歴史的にイスラーム社会においても二人以上の妻をもつのはごく限定的なものであり、それ以上は大商人などの非常に限られた層だけであったことが明らかになっている。 近代に入ると、社会の安定に伴って一夫多妻は減少し、さらにヨーロッパ法の導入にともない、イスラーム社会においても一夫一妻がほとんどとなった。これに対しては当初の理念的としては女性差別の制度ではなかったとしつつも、社会秩序維持上必ずしも必要な制度ではない、もしくは時代にそぐわないとしてムスリムが大多数の国家でも一夫多妻の婚姻にかかわる審査を非常に厳格化している国も存在する。2009年時点において、現在法律によって、完全に一夫多妻制を禁止している国としては、トルコとチュニジアが挙げられる。
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