アミスタッド号関連訴訟
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「アミスタッド号事件」の記事における「アミスタッド号関連訴訟」の解説
1839年9月、反乱罪および殺人罪に関する訴訟が、コネチカット州ハートフォードの合衆国巡回裁判所に提訴された。裁判所は、本件はスペインの領海内にてスペイン籍船上で起きた行為であり、本裁判所に管轄権はないとした。 そのため、複数のグループが奴隷、船、積荷に関する所有権を巡る訴訟を、巡回裁判所よりも下位の地方裁判所へ提訴した。訴訟を起こしたグループには、ルイスとモンテス、ゲドニー大尉と、ロングアイランドの浜辺でアフリカ人たちに遭遇し、その逮捕に助力したと主張するヘンリー・グリーン大佐がいた。またスペイン政府は、1795年に米西間で結ばれたピンクニー条約(Pinckney's treaty)に基づいて、船体、積荷および奴隷をスペインへ返還するように求めた。本条約の第9条には「公海上にて海賊、盗賊の手から救出された全ての船および商品は、その性格に関わらず、全て正しい所有者に返還される」("all ships and merchandises of what nature soever, which shall be rescued out of the hands of pirates or robbers on the high seas, …shall be restored, entire, to the true proprietor")と記されていた。そのため、合衆国はスペイン政府の代理として、所有権を提訴した。 奴隷廃止運動家たちは、ニューヨークシティの商人であったルイス・タッパン(Lewis Tappan)を指導者として「アミスタッド協会」(Amistad Committee)を設立し、アフリカ人を弁護するための資金を集めた。当初、英語もスペイン語も話さないアフリカ人たちとの意志疎通は困難を窮めた。そこで言語学者ウィラード・ギブズ(Willard Gibbs)はアフリカ人たちの母語であるメンデ語で10までの数字を覚え、ニューヨークの港に赴いて、通訳の出来る人物が見つかるまで大きな声で数を数え続けた。この人物は、英国籍フリゲート艦バザード号(Buzzard)に乗る二十歳の水夫、ジェームズ・コヴェイ(James Covey)であった。コヴェイ自身、西アフリカ出身の元奴隷である。 奴隷廃止運動家たちは、ホセ・ルイスとペドロ・モンテスに対して暴行、誘拐、および不当監禁の罪で訴訟した。同年10月にニューヨークにて彼等が逮捕されると、保守層およびスペイン政府は激怒し、彼等は保釈されキューバへ向かった。 奴隷廃止運動家たちの地方裁判所における主たる主張は、1817年のイギリスとスペイン間の条約と、これに基づくスペイン政府の宣言によって、大西洋を横断する奴隷貿易は非合法となっている、ということであった。そして、彼等が立証したのは、アフリカ人たちは、メンディランド(現シエラレオネ)にて捕らえられ、1839年4月にフリータウンの南、ロンボコにてポルトガル人貿易商に売られ、ポルトガル籍船にて非合法にハバナに輸送されたということであった。よって、アフリカ人たちは奴隷ではなく、非合法な誘拐の被害者であり、自由が認められるべきであった。彼等が1820年以前からキューバ内で奴隷であったことを示す書類は偽造であると示された(これはキューバでは広く行われている行為であった)。 当時のアメリカ合衆国大統領マーティン・ヴァン・ビューレンは、奴隷制については特に強い主張を持っていなかったが、スペインとの関係や、南部からの再選支持を憂慮し、スペイン政府側に立場をおいた。彼は、望ましい判決がでたら、上告が行われないうちにアフリカ人たちをキューバに送るよう合衆国政府のスクーナーをニューヘイブン港に準備させた。 しかし、地方裁判所は奴隷廃止運動家の主張を認め、1840年1月、アミスタッド号と積荷をゲドニー大尉に引き渡し、アフリカ人たちは合衆国政府によって母国へ帰還させるよう命じた。(アメリカ合衆国連邦政府は、1808年に他国との奴隷貿易を禁じ、1818年施行(1819年改正)の法により、密貿易による奴隷は全て政府の負担により帰還させることを決定している。)アミスタッド号船長所有の奴隷は、船長の相続人の合法的所有物と認められ、キューバへの送還が命じられた(この奴隷はカナダへ逃亡)。 合衆国政府の法定代理人は、ヴァン・ビューレンの命令により、巡回裁判所へ即時抗告を行った。巡回裁判所は1840年4月に地方裁判所の判決を支持しつつも、国際的重要性を鑑みて、最高裁判所へ案件を送致した。 この時点に及んで、前大統領、マサチューセッツ州選出連邦議会議員ジョン・クィンシー・アダムズが、最高裁判所においてアフリカ人たちの弁護を行うことを引き受けた。最高裁判所は、アフリカ人たちが誘拐されたものであると認定し、彼等が(スペインの法に照らしても)合法的な奴隷ではなく、ルイスとモンテスの所有物ではなく、よってピンクニー条約第9条は適用されないとし、その自由を認め、暴力行為によって自身の自由を守る権利を認めた(The Amistad, 40 U.S. 518 (1841))。また、彼等は合衆国に売却目的で運ばれたのではないため、1818年施行の法は適用されず、連邦政府はそのアフリカへの帰還費用を負担する義務なし、とした。
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