アイゼンハワーによるジャケットの考案とは? わかりやすく解説

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アイゼンハワーによるジャケットの考案

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 02:46 UTC 版)

アイゼンハワージャケット」の記事における「アイゼンハワーによるジャケットの考案」の解説

アイゼンハワー中佐としてフォート・ルイス(英語版)に勤務していた1940年にもサービスコート問題指摘しており、酒保PX)付の仕立屋だったジョセフ・ローム(Joseph Rome)に依頼し標準的なOD色ウールサージ製サービスコート切り詰める改造を行わせている。開戦後1942年には将軍1人としてヨーロッパ戦線での指揮執ることとなったが、彼は「醜く機能性でも劣る軍服士気低迷根源である」と信じていた。アイゼンハワーETO高官らが示したこの信念のもと、M1943ジャケット調達制限され支給落下傘兵向けなど一部に留まっていた。 1943年3月アイゼンハワー専属仕立屋のマイケル・ポップ軍曹Michael Popp)に対し、より身体フィットして、短くスマートに見えるようにジャケット改造して欲しいと依頼したポップイギリス戦闘服参考デザイン行った腰丈まで短くし、裾は広がらず腰にフィットするように絞られていたほか、襟と肩章形状変更されていた。ポケットや腰の絞り形状異なるものが何種類仕立てられており、それらはアイゼンハワー自身愛用したほか、彼が率い幕僚たちにも支給されていた。 1943年5月5日アイゼンハワージョージ・マーシャル陸軍参謀総長宛てた書簡の中で、「より短くスマートに見える(shorter, smarter-looking)」ようなサービスジャケットをヨーロッパ戦線向けに採用するように求めた1944年5月には新たなジャケット採用されたものの、新型ジャケット制式装備従来サービスコートが準制式装備位置づけられるのは11月2日になってからだった。デザインポップ1943年手掛けたものとよく似ており、大まかに後期パターンETOジャケット航空軍飛行服特徴掛け合わせたのだったアイゼンハワージャケットは、OD色ウール製で、コンバーチブルカラーを備え肩パッド洗濯可能なのだった。兵下士官用のものは内側胸ポケットがあった。装備品草木などが絡まないようフライフロント仕立てで、蓋付きポケットボタン同様に隠されていた。腰ポケットなくなったため、下士官兵用の軍服としてはおよそ50年ぶりに2つ内ポケット設けられた。袖口にはシャツ同形式の調節可能な絞りがあり、また腰にも絞り調整するためのバックル設けられていた。将校用はレーヨン裏地備える以外は下士官兵用と同様だった。ただし、高級将校中にはアイゼンハワージャケットとは別に各々類似の改造施してジャケット風に仕立てたオーダーメイド制服着用する者も多かった1944年春時点で、需品科航空軍の軽飛行服ETOジャケット改良など、4つ主要な野戦関連プロジェクト進めていたが、最優先されていたのはM1943ジャケットを軸とした野戦一式構築することであった。そのため、需品科ETOアイゼンハワージャケット扱いに差が生じていた。需品科側では、M1943制服英語版一式着用する際、防寒具としてM1943ジャケットの下に着用することを想定していた一方ETO側では従来サービスコート代用品位置づけており、M1943ジャケット用いず単独野戦服として着用することを想定していた。また、袖が広く背面プリーツ設けられていたのは、セーターなどの上重ね着することを想定していたためである。結局サービスコートが準制式装備位置づけられたため、実際にアイゼンハワージャケットのみを準礼装(semidress)の一部として着用する者の方が多かった従来ETOジャケットアイゼンハワージャケットによって更新され1945年まで生産終了した1944年9月には50着分アイゼンハワージャケット出荷準備整ったものの、ETOからの需要に対しては不十分で、10月には不足を補うべく北極フィールドジャケットやM1943ジャケット、あるいはサービスコートなど、雑多な上着出荷されることになった生産の遅れと混乱のため、1945年1月末までにETO受領したアイゼンハワージャケット130着ほどで、当初予定され420着からは程遠かった軍装混乱避けるため、多く部隊ではVEデイまでアイゼンハワージャケット調達数制限していたので、第二次世界大戦中後方での勤務服以外として用いられた例は極めて少ない。ただし、ETOから引き上げた兵士に対してアメリカ本土でも着用認められていたほか、第3軍では試験目的少数支給された。 1945年6月2日には勤務服としての改良が行われたモデル採用された。このモデル全体的に膨らみ抑えられやや細身で、ボタン位置などが変更されていた。1945年7月27日から調達始まった1946年春頃にも改良が行われた。ただし、戦時中在庫大量に残されていたため、新規調達比較少数に留まった。

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