ETOジャケット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 02:46 UTC 版)
「アイゼンハワージャケット」の記事における「ETOジャケット」の解説
需品科が汎用野戦服の開発に集中していたため、ETOでは1942年10月から独自にウール製ジャケットの試験目的での調達を開始した。12月にはアイゼンハワーがイングランドの企業からジャケット30万着を調達することを許可した。こうして調達されたジャケットは一般にETOジャケット(ETO Jacket)の通称で知られた。 1943年2月、航空輸送司令部(英語版)は需品科に対し、飛行要員および非飛行要員の被服機能要件の調査を求めた。5月15日、需品科から航空輸送司令部に宛ててウール製短ジャケットの採用を推奨する報告が行われた。 需品科の見解を取り入れた改良の末、最初に調達されたETOジャケットはM1941ジャケットに近いデザインだった。1943年7月からイングランドに駐留する第8空軍および第29歩兵師団(英語版)にて試験運用が行われ、9月にはよりイギリス製戦闘服に近い形状に再設計されたものが正式に採用された。 将校用ETOジャケットはアイゼンハワーが推奨したこともあり、ヨーロッパ作戦戦域の高官や幕僚によって広く着用されていた。また、高級将校の多くはオーダーメイドのジャケットを自費で購入していたため、高級な布地が用いられたものや、各々の好みに応じた細部の改造が加えられたものもあった。 なお、航空軍では1944年3月14日に下士官兵用軽飛行服(Enlisted Man's Light Flying Jacket, B-14)としてウール製短ジャケットが採用されている。
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