その他の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 09:25 UTC 版)
「サラソータ (フロリダ州)」の記事における「その他の開発」の解説
地域のその他の町も法人化されあるいは成長して町になった。それらはベイフロントとは全く異なる特性がある。ベイフロントは現在の10番通りで終わっている。これらの町はサラソータが成長するに連れて吸収されていったが、幾らかはその名前を残し、現在は地区として認識されている。オーバータウン、ベイヘイブン、インディアンビーチ、シェルビーチ、ビーリッジ、フルートビルなどのコミュニティは、現在そこに住んでいる人々の記憶から消えていくしかなかった。オーバータウンは拡大して、現在ローズマリー地区と指定されている場所を含むようになり、ニュータウンの領域がそれと合流した。リングリング芸術デザインカレッジは、ベイヘイブンの町のために開発されたホテルをその管理棟に含んでいる。それが建設されたのはオールド・ブレイデントン道路が北のマナティ川に向かう大通りだった。この道路はボウリーズ・クリークの一番広い部分を避けて渡っていた。タミアミ・トレイルが1920年代に開発され、クリークを渡す橋は開発を妨げる自然の障害として取り外された。シェルビーチは湾に沿った高台に大きな荘園を建設する場所となり、サファイアショアーズとジ・アップランズの開発地となっている。 キャサリン・マクレランとデイジエッタ・マクレランの姉妹がこの時期の土地開発業者になった。彼女たちはマクレランパークの小区画を作り、中心街の南にある最も重要で成功した住宅地区となっている。その区画は1913年に登記された。大規模開発によく使われた典型的な格子状の区画とは異なり、密に組み合わされた町となり、ヨットの桟橋、テニスコートなどレクリエーション・スポーツ用の施設を備えた。 サラソータの開発では女性が重要な役割を演じた。おそらく多くの町とそれほど変わるものではないが、サラソータの歴史がその役割を文書として残している。バーサ・パーマーはここではそれほど異質なものではなく、サラソータ郡歴史会館の郡の記録を探せば、他にも多くの例を見つけられる。 サラソータ北部の地域はリングリング兄弟の多くを惹き付けた。彼等は20世紀の初め頃にサーカスの大物としてその富みを築いた。リングリング兄弟サーカスはまだ1つの団体に統合されていなかった。 メアリー・ルイーズとチャールズ・N・トンプソンが1895年にシェルビーチの区画割りを行った。トンプソンの邸宅がそこで最初の住宅となった。現在のサンサークルからほぼボウリーズ・クリークまで伸びていた。1911年からメイブルとジョン・リングリングがそこの家で冬を過ごすようになり、最終的にはサラソータにおける恒久的な冬の家として、大きな区画を購入した。トンプソンは土地開発業者であると共に、別のサーカスのマネジャーでもあった。冬の隠棲地と同時に土地への投機のためにサラソータにリングリング家の数人を招いた。 まず、アルフ・T・リングリングの一家が広大な土地を持って、ウィットフィールド・エステイツ地域に入った。チャールズとジョン・リングリングの家族が続き、さらに南に住んだ。間もなく子供達や一族がサラソータにおけるリングリン家の存在感を高めた。1919年にアルフ・T・リングリングが死んだ後、リングリング兄弟サーカスがサラソータを冬の家とし、チャールズ・リングリングが業務を引き継いだ。 チャールズ・N・トンプソンがリングリング兄弟サーカスのスタッフに加わり、小さいサーカスや下火のサーカスの買収を始め、それらを別々に興行させた。1919年、これらを巨大なサーカスに統合し、「地球最大のショー」と呼んだ。このとき設立者5人兄弟の2人だけが存命だったが、家族の他の者達が事業に加わったり、理事会に入ったりした。出演者やスタッフがサラソータに定着し始め、リングリング・サーカスをサラソータの町の一部にした。 第一次世界大戦が終わると、サラソータでも経済好況が始まった。市は新しい仕事、投資先を求める人で溢れ、初期開発者が作っていたシックな社交界が求められた。 トンプソンのシェルビーチで、エレンとラルフ・ケイプルズが冬の家を建てた区画の隣に、メイブルとジョン・リングリングが家を建てた。これは間もなく博物館となった。エディスとチャールズ・リングリングが、その娘ヘスター・リングリング・ランドキャスター・サンフォードの家を含む複合的な家屋を建設した。 シェルビーチのすぐ北にある次に大きな区画は、エレン・ケイプルズからメイブルとジョン・リングリング、さらに他の者へと1947年まで開発されずに何度か所有者が変わった。その後、ジ・アップランズとして開発された。その区画に関わる昔の人は、バーサ・パーマー、その息子のオノレ、A・B・エドワーズであり、その名前が市内の通りに付けられている。 この区画に向き合う土地は1925年に、新しい小区画を造る意図で、シーゲイトとして再区割りされた。1929年、ここにグウェンドリンとパウェル・クロスリーがその冬の家を建てた。これら歴史ある家屋と博物館は全てアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録されている。 インディアンビーチのサファイアショアーズ地区はそのすぐ南に成長し、湾沿いに大きな家が建てられた。サファイアショアーズには、先に挙げた裕福な人々の社会と密接に関わることを願った、あるいは関わっていた、専門家や退職者の家屋ができた。一時期別の町だったインディアンビーチには、1920年代の好景気に立てられた新しい流行の建物の中で生き残った開拓者の家屋が入っていた。
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